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コロナビールとライム

村上春樹の初期の作品、いわゆる「僕三部作」とか「鼠三部作」とファンに呼ばれるデビューから三作の、重要な舞台となるバーの名前。

ひたすらビールを小便にすることに時間を費やし、1960年代をやり過ごす主人公とその友人である鼠の青春の純粋な浪費を、やれやれ僕も射精した、などと悦に入って繰り返しひとりつぶやきながら愛読していた僕としては、その店名に、あるいは純粋で罪のない好奇心に、少なからず誘われて階段を上がってみたのだ。

入り口のドアを開けると、暗い店内にはABBAが大音響で流れていて、不釣り合いなほどでかいスクリーンでは若きジュリア・ロバーツの「プリティ・ウーマン」が無音で映され、ダーツなんかもあって、お、割と雰囲気良いかな、と思っていたら、すぐ地元の常連客の沖縄歌謡曲カラオケ大会になってしまった。

なんだこれは。
結局は沖縄によくあるカラオケスナックなのか。

一杯だけ飲んで、ほうほうのていでスタコラ逃げ出す準備を、冬眠中のキツネザルが春を待つようにじっと待っていた。

いよいよ頃合いかな、と
ストールから腰を上げようとすると、
「何か歌いますか?」とマスターがふいにこちらを向く。
「え?」
「だから、カラオケ」

「いや歌わない」僕は首を振る。「歌わない」
だけど、なんとなくタイミングを失した感じがして、何故か逃げ出せなくなった雰囲気なので、とりあえず2本目のコロナビールを注文して、改めてストールに座りなおす。




瓶の口に差し込まれているライム、僕はこれにいつも悩むのだ。

果汁を絞るべきなのか、そのまま押し込んで瓶の中へ入れてしまうものなのか。
中に押し込んでしまったら多分もう出せないから、これ普通にカン・ビンの日に捨てていいのかな、とかね。
完璧なゴミの日なんて存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

常連のお客さんらしきお姐さんの、古い沖縄ポップスが流れる中で、湿気ったナッツなどつまみながら、なるべく不自然ではないように店を出るタイミングを伺う。

やれやれ。

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