せんべろ風土
急に雨が強くなって、雨宿りがてらセンベロの店に駆け込む。
一杯目はさんぴんハイ。
カウンターの隣に腰掛けた若者は、ダイビングのライセンスを取りに石垣島にやって来た東京の大学院生。
「専攻は流体力学っス」
ベルヌーイの定理とか?などと適当に言ってみると、目をむいて
「学校の外でその言葉聞いたの生まれて初めてです」と。
ずいぶんいい身体してるけどなんかやってんの?
「アメフトっス」
アメフトは今、風当たり強くて大変だねえ。
卒業後の進路は航空機の開発に携わりたい、との事で、往年のYS-11、三菱MRJ、石川島播磨重工の話で盛り上がる。
堀越二郎が設計した日本海軍零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦。雷電、烈風。
そして土井武夫の日本陸軍三式戦闘機、飛燕。さらに屠龍。九九式双発系爆撃機。
戦時中、世界を席巻したのち、敗戦後にGHQに封印された日本の航空機産業。
それから長い間日本人技術者たちは文字通り翼をもがれた状態に。
しかし、実はその後、堀越と土井の薫陶を受けた弟子たちが、川崎重工でZ1やKRZ1100という歴史的なオートバイを、そしてAFAE機としてエポックメイキングとなるミノルタのα-7000なる名機を開発した、高い技術力を世界に示す技術者となったのだ。
かつて世界一だった技術力で再び空へ。
我々日本人の積年の夢である純国産の航空機の開発を、若い世代に期待してさんぴんハイで乾杯。
さて、キッチリ三杯飲んだところでお暇を。
店の外に出るとまだ雨。沖縄ではこのくらいなら傘などささずに濡れて参りましょう。
ではでは。