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歴女ガールズ・バー

先日ガールズバーみたいなワイン角打ちで、鹿児島出身の女の子が前に立ったので、そいは良かおごじょ、と島津斉彬公の話をしたけど全く通じなくてしょんぼりした、という話をしたら

「そんな話題が通じるわけないでしょう」

と諭されたので

いやいや京都の街歩いてると、割と歴女の若い女の子、いるよ?眼鏡っ子でお下げの。(個人の感想です)

「だとしても、そういう子はガールズバーでバイトしないです」


そういうもんか。




前回京都に行ったときは真冬。
雪の降る中、新選組壬生浪士組と呼ばれていた頃に宿舎にしていた最初の屯所、旧八木邸に行ってきた。

現在はお菓子屋さんで、壬生菜が入った「屯所餅」というのをお薄と一緒に頂いたことを思い出す。




文久3年9月18日。角屋で芸妓総揚げの宴会の後、芹沢鴨は、平山五郎平間重助土方歳三らとこの家へ戻り、それまでとことん呑んでいたにもかかわらず、再度飲み直したそう。

芹沢はなんと言っても神道無念流の免許皆伝の腕前なので、まともに立ち会うとこっちがヤバイかも、ということで策士の土方は、芹沢をまずはぐでんぐでんに酔い潰しておいて、寝込みを襲って斬ってしまおうと企んだわけですね。

芹沢の妾のお梅、平山の馴染みの芸妓である桔梗屋吉栄、平間の馴染みの輪違屋糸里がそれぞれお相手をして、呑んだくれた芹沢たちはそれぞれおのおの寝具を屏風で仕切って寝てたというんですね、まさにこの部屋で。

んで、土方さんが何度も何度も寝入ったか覗きに来た上で、庭から入ると後々内部犯行とバレるかもしれないというんで、わざわざ表に回って玄関から押し入るわけです。

おそらくは土方と沖田、山南、原田あたりでしょうか。まずは平山を斬り殺し、さらに芹沢に斬りつけると。ここでお梅も喉を突かれて殺されます。

斬りつけられた芹沢が飛び起きて、枕元の脇差しを取ろうとして失敗し、これはまずいそれ逃げろと真っ裸のまま縁側を抜けて八木家の親子が寝ていた隣室に飛び込むのですが、暗闇の中で文机につまずいて転び、そこを土方や沖田たちがよってたかってずたずたに斬りつけてしまうのですね。

聞けば天井まで血しぶきで真っ赤になり、床の間の床柱も刀傷だらけになるほどだったそうですな。

床柱は既に修復されていたのですが、土方か沖田のどちらかが付けたのであろう、隣の部屋の鴨居の刀傷、そして芹沢が蹴躓いて転び、運命の分かれ目になったとも言える文机がそのまま残っていて、当時のどしゃぶりの大雨の夜の情景が目に浮かぶようでワタシはもう興奮してしまいました。




などという話ができる歴女ガールズ・バーがあれば通うんだけどな。

あ、歴女スナックでも良し。

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