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良くない人や車や仕事に接する時、僕はいつも思ってみる。 この人は「神様」なんじゃないかな、と。

ひどい仕事をする人や、通りすがりの意地の悪い人、迷惑な運転を続ける車、などに出会う時、
「なんだこのー!(# ゚Д゚)」と思う心が生まれる。

そしてそれについて考え続けるのは、時間を損している。

しかし、これは、人間であるかぎり仕方ない。
生存競争の淘汰の中では、「仲間になる=利益になる=個体を迎え入れる。一方で、敵対する=損になる=個体を倒してきた」ので、自分に損させる他の個体を敵視して忘れないようにしようとする特性があるはず。

だけど、その人間の原始的な脳に任せっぱなしでは、進歩がない。

僕は、信念をもって、特定の宗教に入らないのだけれど、「よくわからない超自然的な存在=いわゆる神様=みたいなものがこの世界にいるならば」という思考技術はよく使う。

迷惑だなーという、その人物は、角を曲がると、煙が出て、仙人のような姿に戻る。
そして「お前さんに、必要なことを、ここから学べ」とつぶやく。

そう思うようにしている。

昨日はエアコンの業者さんが来て、「既設の、ここには入らないので、こっちに着けて、、、」と、話を進めていく。
説明がところどころわからない。
彼の中では、絵が見えるようで、相手にもその想像の中のものを指し示すようにしゃべるけれど、まあ、そういうのは、わかったことにして進む。
てきぱきしているのはいいけれど、時々「この2つのうち、どちらがいいですか?」と聞いてくる。
「どちらがお勧めですか?」と聞くと
「それは、お客様次第です。(ドヤッ)」と決め台詞のように即答。
では、「意思決定のために、具体的に教えてください。先ほどの、◎◎というのは、これこれをこうこうすることですか?」
「いえ、そうじゃなく、電気のルールで決まっていて、そうはしないのです。」
「では、具体的にどうするのですがか」
「腰高コンセントをつけ、横から配線を出します」
「その・・・、用語のさすものは想像できませんが、どういうものでも構わないのですが、リビングに今まであったコンセントはどういう状態になるものですか?」
「えーー、、、と、、、。」
「施工例の写真はありませんか?」
「ありません(キッパリ)」
「では、どう意思決定をしろと?」
「つまり、、、車から現物、持ってきます。」

彼は、かなり仕事ができる人だと思う。
「ないものはないという」という点も、結構、いいと思う。
「お客と販売者は対等な関係」であり、お客さん扱いする必要はない。僕がどっち側の時もそう思うので。

だた、彼の足りない点は「それを見たことのない人には、情報が足りない説明であること」かつ「そういう説明をしているという自己認識を持てないこと」にある。

しかし、これは、専門化し日々繰り返す仕事になるほど、めんどくさくてショートカットしてしまうこと。

義実家で、昔見たエアコン移設工事の配線工事は、ひどいものだった。説明したでしょ、お客さんOKしましたよね、ということでやり直しもできなく、見栄えの悪い、だらんとしたケーブルが居間を横断している。
うそでしょ!という仕事ぶり。

僕は、後戻りできない場面には敏感で、「決めてください」という場面で「決めるからちゃんと情報をください。先の説明では、見たことがない段階で、意思決定ができない。」というようにしている。

彼は次の用事があるようで、どたどたと出て言って玄関を力強くガチャっとあけて部品を持って帰ってきてた。
(俺、次の用事があってすごく急いでいるですけど)という無言のメッセージをくれて、それはわかった。
しかし、迅速に決定する分だけの情報を用意してきていないのは、提供者側の怠慢なのだ。

彼がその腰高コンセントを見せる。
それを、既存に着けて横から出す、という。
それならば、それでいきましょう。
僅か、10秒。

さっきのやり取りの数分が無駄だなぁと、互いに思う空気が流れた。

で、そんな感じで、テキパキしているけれど、彼の都合主導でのテキパキさだったので、もやもやしてしまった。

彼はきっと、多くの家を回り、その説明で高齢な方々に説明して、いいですね、これでサインもらいますよ、としてきたのだろう。きっといい仕事をする自信もある。うまくやるから、任せてよ、と。

その彼の専門家ゆえのゴリゴリ感を、自分に投影してみた時に「石井自身は、そういうところはないのか?顧客に、ゴリゴリ感でもやもやさせてないのか?」と、自問する。
もしも彼が角を曲がって仙人の姿にもどる「神様」だったら、「自身の専門性への自信が、顧客をこういう気持ちにさせていないか。この姿に学べ。」と言っているのではないか。

そう思うと思い出されることがあった。

かつて、大手のコンサルから、大手の某社の社内ワークショップの実施の相談を受け、コンサルとともに、同社に行った。
数度の提案をするも、なかなか、ニーズも、YesNoもはっきりせず、提案のためだけの無料出張だけが繰り返された。
いつもクライアントは1時間ちょっと前で会議を打ち切る。
なので、ある時、50分間ですべてを、理解してもらえるように、力強く、速いスピードだが明瞭に、具体性と、効果を、しゃべったことがある。
そして、案件は、なくなった。
コンサルははっきり言わないのでわからないが、石井ではそりが合わない、ということだった模様。

そして、ずいぶん時間のたった今、「当時の自分は、先ほどの彼だったのではないか」と。

相手の都合でなく、自分が「今回で提案を終わらせたい」と思い、やや強引に提案プレゼンをしきった。
相手にしてみれば、言うことはわかるけれど、この感じでは、うちに合わないな、と判断した、、、のかもしれない。

自分が常に顧客を愛し、最善を提供できているのか。
そうではない行動原理で、仕事をしている瞬間があるのではないか。
当時の自分の、愛のない仕事ぶりに、いまさらながらに、気づいた。

===

良くない人や車や仕事に接する時、僕はいつも思ってみる。
この人は「神様」なんじゃないかな、と。
何を今、石井に学べと言っているのだろう、と。

こう考えると少なくとも、憤慨してストレスをためるよりは、ずっといろんなことが糧になる。

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