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愛しているけれど嫌い

これは今の私の両親に対する思い。

幼い頃は、本当に両親を愛していた。
パパとママ
どちらも大好きだった
できれば二人に幸せになってほしかったし
二人に笑っていてほしかったし
二人で仲良くしてほしかった

ぜーんぶ叶わなかった

重苦しい空気も
両親がお互いにぶつけ合う嫌悪と
憎悪の感情も
私はリトマス紙のように全部吸収した

今はもう思い出せない
きっとその時の記憶は自分の奥深底に沈めてしまったのだと思う

あの時は誰が悪いとか
客観的に考えて自分の両親がおかしいとか変だとか、思いもよらなかった
家庭環境に恵まれていないということにも気づけなかった
ある意味全肯定して全部を受け入れるしかなかった

ただ嫌で嫌で仕方なかった

身体的に虐待されたわけではない
学校にも行かせてもらった
そんなことで自分を納得させて大人になった

でも今になって知る
毒親という存在
未熟な親という存在
家庭環境の大切さ

そして自分の中に既にゴミ屋敷のように
積み重なってしまった苦い記憶と変な固定概念、そして誤った自己認知。
何もかもが整理されていないくてただただ積み上げられたもの。

私だって本当は家族との時間を
ひとつひとつを綺麗な記憶として積み上げたかった。
大切な思い出として飾りたかった。
その思い出を心の拠り所として寛げるように整えておきたかった。

大人になって心の中がゴミ屋敷の人もいれば、とても美しい空間を持っている人がいるということに気づく。
後者はいつでも人をその場所に招き入れることができて、温かいものを見せてくれる。私はそういう人の心に招かれるたびに、癒されると同時に自分にはない羨ましさと憧れを感じた。

自分以外のものに触れて
自分の世界を大切にすることや
自分だけの好きを発信することや
自分の心を整える術を知っていった

世界は本当は美しかったし
世界は本当は自由だった

仕方なく私は自分のヘドロのように溜まり切ったゴミ屋敷を泣きながら片付けることになる。長いこと放置していた感情は腐敗していた。
本当に問題は放置しておくといいことなど一つもない。
片付けるには時間がかかるしエネルギーもかかる。

無意識かもしれないが
自分が自分を呪っていたことにも気づく。
ーこんな自分ではうまくいくはずがない。
親に子育てが間違っていたことを示したいがために自分が幸せになることにブレーキをかけ始めるという謎の行動!!怖

ただ世に溢れる片付け術と同じく
一足飛びには片付かないのが心の整理
一つずつ一つずつやっていくしかないのだ

だけど必ず自分が大切にしているものが見つかる
不思議と片付けが進むうちに
親との関係性に具体的な行動が取れるようになる
(もちろん悲しみと痛みは伴うんだけれど)
何より自分の人生が軽やかになる
だから諦めないでほしい

どんなに課題が積み上がって
人生が詰んだと絶望的な気持ちになったとしても
ちゃんと大切なものが見つかるから
諦めないでほしい

あなたの中にちゃんと光がある
まだそれが見つかっていないだけ
あなたが疲れ果てて昔に吹き消した愛の光
それをまた灯せるようになる日が必ずやってくる。




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