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負の連鎖(祖母のこと)

母方の祖母はまだ存命だ。
健康だが、認知症が進み高級介護施設に入所した。いつも帰りたいと言って、それを母が嗜めている。
“家には帰れないの!こんな三食もついて、いいところないわよ”
私はそのやりとりを冷めた目でみている。
私もこのセリフを母に言う日が来るだろうと。
母に言いたい。自分の母親に優しく言えないくせに、同じ状況になったら、私には優しくしてほしいだなんてまさか期待してないよね?!笑

祖母のこと

現在90歳。祖母が21の時に母を生み、48のときに孫である私は生まれた。

当時は若いおばあちゃんだったから、いわゆるおばあちゃんという感じには見えなかった。夏休み、冬休み、春休みと母と一緒に帰省するとなんでもごちそうしてくれた。
祖父は医者で、何不自由ない生活をしていた。祖母の金庫にはいろんな宝石が入っていて、幼心にその美しいコレクションを見るのが私は大好きだった。

だけど無条件に孫を愛していたかというと、私は違うかなと思っていた。
父と母が泥沼の末に離婚した時、これまで孫の慶事にはお祝いをしてくれていたはずだか、“〇〇(父の苗字)にしてもらいなさい”と言った。
私は祖母の本性を垣間見た。
もともと孫には優しかったし、怒ることもなかったけれど、ドラえもんののび太くんのおばあちゃんみたいな無条件に愛してくれる人ではなかったのだ。

祖父も温和な人だったが、あまり本質的なことは話さないし、彼の人生訓を聞いたことはなかった。祖母も同じだった。
祖父は代々医者の家系、兄弟たちは全員医者になった。次男坊だった祖父は家を継ぐことなく、祖母はそれがよかったと私に何度も話してくれた。田舎で家や姑に仕えずにですむのは気楽なのだろう。

ちなみに祖母は呉服屋の娘。
五人姉妹の四番目。母ではなく祖母に育てられたときいている。

お嬢様だった祖母はパーマをかけるのに、当時のサラリーマンの月給ほどの金額を使ったらしく手持ちのお金が足りず、勤務中の祖父が残金を慌てて持ってきてくれたことを嬉しそうに話していた記憶がある。

医者と結婚したら幸せになれる
医者になったら幸せになれる

その信念は強かった。現に母の妹は医者と結婚して、今も贅沢な生活をしている。

母は祖母のいうことを聞かずにサラリーマンと結婚した挙句に失敗をしているわけだ。
実家に帰れば、妹は稼げる旦那さんに愛されて、海外旅行にも行き、その度に新しいジュエリーを手にしているのをみて内心面白くはなかっただろう。

妹の子どもは二人は医者になり、一人は薬剤師になった。
祖母は医者になった孫を本当に喜んでいたし自慢に思っていたはずだ。
私も医者になるなら学費は出すわよと何度も言ってもらったけれど、私は医者にはならなかった。期待はずれだったとは思うが、結婚して孫が生まれたときはそれはそれはよろこんだ。

孫の中でも、孫のお嫁さんが産んだ子と、孫が産んだ子では可愛さが違うとはっきり言った。


幸せってなんだろう

幸せってなんだろう。
祖母を見て思うことがある。
お金がたくさんあっても、最後に自分の財産もわからなくなってしまったら。
使うことができなくなってしまったら。

私は母には無条件には愛されなかった。
条件付けの愛の中で苦しんだ。

母も祖母からは無条件には愛されていなかったのかもしれない。
だからといって、それを自分の子を愛せないという理由にはならない。
それは母の問題であり、母が乗り越えるべき課題だったからだ。

私も母の事情を理解はするが、母からの仕打ちを赦すつもりはない。

結婚相手を間違ったのは自分
人生をやりなおそうとしなかったのも自分
娘を無条件に愛せないのも自分
健常児じゃなかった孫を受け入れられないのも自分
いま誰にも理解されない時孤立するのも自分

人生に向き合わなかったツケはいつか必ず自分で払うしかないのだ

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