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小さな開発、大きな開発②

暮らしの復権、街の復権

小さな開発と大きな開発の違いは、どこにあるのでしょう?
小さな開発は、じわじわと来る共感(メンタル的)、大きな開発には、バンっと来る驚き(物理的)が違いとなってあるようです。
例えば、大きな開発の施設には、オフィス棟には、あの有名企業や研究機関の人々、中でも○○に特化したエリート達が・・。商業棟にも、あの有名店の初めての出店、しかも新業態店として、本店の再現店として、複数店が、と言った具合です。但し物理的驚きは常態化してしまうと、人々の気持ちは冷めていきます。

小さな開発には、その手の派手さはありません。固有名詞化する、大きな開発に出店入店している有名企業群が主語になる大きな開発に対し、街全体が固有名詞となる小宇宙を持つ小さな開発は、店や仕事場が固有名詞化するより、店や仕事場を含む総体が固有名詞化するのです。例えば○○屋ではなく、△△(街名)○○屋、△△(街名)の○○屋、と言ったものです。

大きな開発は、出店入店している企業、店舗が独立(孤立)したものとして、人々から認識されます。小さな開発は、そうでは無い所に、つまり大きな開発に経験的に慣れ切ってしまった人達、生まれた時から当たり前的にあった大きな開発に時間的に慣れ切ってしまった人達の「暮らしの復権」的声からのものだと思われます。暮らしの復権への希求と街の復権の様(街づくり)が重なり合うからこそ、その間には、じわじわと感やそのストーリーが生まれるのです。街と自分が重なり合う感じです。小さな開発とは、こう言ったものだと解釈しています。大きな開発にこだわり過ぎると、その先には短命なアップグレード=町の劣化が待っているでしょう。先の章で述べた公園史観は街づくりのセンスと同様だと思っています。

法則いろいろ
大きな開発にしろ、小さな開発にしろ、マーケット(市場)を作る面では共通しています。只、その作り方には、一定の法則、定理となるものがあるようです。(距離、尺度の法則して既述済)村、町の成り立ち(来歴)に沿って、村(里=人の住む所)の中に町(店=人の集まる所)が出来た史観に
省みて、村を○○市、例えば名古屋市、町を○○、例えば栄、名駅、覚王山と仮にします。

行政人口が10万人台から30万人台程の市の中には、中心となる町は一つ成立します。(駅を中心としたものや、城下を中心としたもの等、市により様々ですが)しかし、一つの町ではなく、二つ以上の町を過去に作ろうとした市の例も多々あります。その結果、どちらかが寂れてしまうこととなります。この場合、どちらかは「小さな開発的アプローチ」による街づくりが必要となります。行政人口の数字は一世帯当たりの消費支出額、当市の消費販売額から算出出来る商業人口、在率、つまりマーケットキャパシティを表す故からです。こうした市や町が大半なのです。

一方、行政人口100万人を越える市も存在します。この場合、市の中心となる町は成熟しますが、新たな法則理解が必要となります。その町は、3層からなる200m×3層=600mの町範囲を持ち成熟します。町の流入出拠点地(多くは呉服屋系百貨店前となりますが)から1層目のr200mは商業、文化、オフィス等多様な人々が集まる層です。2層目は、どちらかと言うとオフィスと夜の町、飲み屋町的層となります。そして3層目は町のハズレとなり、ラブホ、風俗、おしぼりリネン屋、運送、職安等のバックヤード的層
となります。1層のど真ん中だけでなく、1層目から2層目、2層目から3層目にかけてのヘリの部分は「大きな開発」がなされ易い所です。しかし、これらの部分は同時に町の記憶を堪えている部分でもあります。過去には町屋の並ぶ職人系の○○町(紐屋町、鍛冶屋町等々)、○○街と言った同業者の町等です。この部分は「大きな開発」と共に「小さな開発」による街づくりを進める。その意味は既に言わずもがなでしょう。更に市の中心となる町は、約r600mをその範囲に描きますが、そこから離れた町が隣接する町が、市の中にはいくつも時系列的に生まれています。それらの町は、市の中心町を№1、№2とするならば、№3になるのではなく(マーケットキャパ上成立し難い)イメージ的に№7、№8と言ったポジションを持つ町を目指すよう
となります。この場合は「小さな開発」は必要となります。小さな開発がもたらすであろう街力を3年単位で積み重ねていくグランドデザインが必要となります。


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