見出し画像

オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームの感想

 2024年2月18日、オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームに参加した。俺は若林さんのファンの男で、今日はその感想を書く。整理がつかないので乱文になる。ネタバレを含む。

心に残っている場面

 若林正恭さんのおともだちの星野源さんが来てくれて、ふたりでやってくれた2曲がかなり最高で、今も心に残っている。俺はLIGHTHOUSEが大好きで、Netflixで繰り返し見てきた。
 中でも、一番好きな曲がorange。俺も阿佐ヶ谷・高円寺に住んでいたことがあって、ままならない生活に閉塞感を抱えながら、線路沿いを歩いたこともある。実は今もなお、体感的には何の成功も得られぬまま、日々、彷徨い続けている感じだ。おふたりと違うのは、俺の場合、人生のRPGがクリアできなくて、レベル10くらいのまま彷徨い続けている点。生ぬるくへこたれたまま今日まで生きていて、出てくる敵はルーティーンで方がつくものばかりで、倒しても得られる経験値はない。レベルが上がらない。だから、見知ったエリアから出られない。時たま、慣れきった環境から飛び出してもみるが、あがいて、打ちのめされて、教会に戻される。クリエイターとして一向に芽が出ない。そんな毎日。昨日は、そんな人生に、オレンジ色の光が当たった感じがした。
 PopVirusも最高だった。特別バージョンのリリックに飛び上がって喜んだ。でも、リリックは一回聴いただけでは覚えられなかった。次は一回で覚えられるように、次回までに脳を育てようと思う。

網膜に希望の色を写す

 エッセイで「網膜に色を写すために海外に行く」、そういう表現があった。すごく好きな表現。若林さんは詩人だ。誰に何を言われてきたか知る由もないが(いや嘘、知る由は少しだけある。若林さんはそういうのをエンタメに昇華してときどき見せてくれる)、とにかく若林さんは詩人だ。言葉が美しい。言葉に力がある。言葉に情景がある。言葉に重きを置いている。言葉を愛している。俺がリスペクトしている部分のひとつで、おこがましいシンパシーを持ってしまう部分のひとつでもある。
 で、ライブのネタバレになるけれども、「行くべきところ」を作るためにUberEatsの配達員を始めたら、やはり行くべきところに行くときには街がカラフルに見えたと仰っていた。網膜に色がつくということだ。普段は行きたいところがなく、街が灰色なんだそうだ。分かる。俺もそう。普段は大体そう。
 でも、実はこの1年は、この東京ドームのイベントがあったから、ワクワクして過ごせたよ。色も結構ついてた。俺と同じ気持ち、同じ状態だった人間が、いかに多かったか。10万人か、20万人か。
 昨日、水道橋に向かう途中の、俺の網膜のカラフル具合たるや。みんなに見せてやりたいくらいだったけど、きっと、ドームやライブビューイングや配信に参加した16万人のうち、かなりの割合の人がそうだっただろう。若林さんも春日さんもそうだっただろう。じゃあ、見せてあげる必要すらない。俺の網膜に、みんなの網膜に、1年間、色をつけてくれた。それがどんなに素晴らしいことか。希望。明日のたりないふたりでは、未来への希望を見せてくれた。今回は、当日までの1年間を美しく、希望で彩ってくれた。希望の色を見せてもらった一年だった。

味玉ハラスメントに伴う殉職の提案

 俺は、春日さんの味玉禁止&車土足禁止ムーブが一種のハラスメントに近いものだと思っていて、正直ラジオでもクミさんが可哀想すぎて笑うに笑えなかったこともあるのだけど、どちらも、エンタメの形で制裁が加わってよかったと思う。
 あくまで個人的にはだけど、これまでの贖罪の意味を込めて、ANNin東京ドームの場で、5万人が見守る中、春日さんが殉職するということでもいいのではないか、と思っていたくらいだ。そのくらい、愛のない動きだ。でも、理屈じゃないから仕方ない。エンタメの形を取りつつ、味玉について考えを改める(再考する)意味の発言があったことは非常に良かった。実際に今後、味玉が解禁されるかどうかは疑っている。

漫才と三軍のエースとラジオと

 若林さんが、過去の漫才を超えられなくて悩んでいる話は都度都度ラジオ等で聞いてきた。今回、超えられてよかったと思うし、それを目撃することができてよかったと思う。ふたりでホームラン打つシーンなんて、最高すぎた。俺は若林さんがいきいきしていると心から嬉しくなる。今回は、春日さんも本当にいきいきしていた。漫才に、楽しそうにアドリブを入れていた。バッチリハマっていた。気持ちよかった。若林さんも嬉しそうだった。長楽の話が熱かった。冗談ではなく、ドームにピッタリだったと感じた。
 あと、若林さんの話していたこと(自分への褒め)も最高だった。少し自分語りを容赦してもらいたいが、俺も、こんなことを言ってはなんだけど、クラスの三軍のエースだった。大学では、もう三軍のエースすぎるあまり、二軍の試合にもお呼ばれする勢いだった。でも、調子に乗って一軍の試合に出ようものなら、毎回萎縮して場を白けさせていた。あのときの女子たちの寒々しい目線が今も忘れられない。自分語り以上。若干話がそれたが、だから分かる。若林さんは昔からずっとああで、ずっと面白くて、それをプロになって大ブレイクしてANNに抜擢されてから、15年間そのまま続けたんだろうなと。多忙で、疲れてて、傷ついたりもして、苦しく、眠れず、頭も痛く、その中でも、持ち前の能力一本、腕一本で、ずっとずっとずっとリスナーを笑かしてきた。
 俺たちも俺たちで、その放送をずっと聞いていて、今やすっかり育ちに育ったリトルトゥースなもんで、ドームのネタのひとつひとつの刺さり方が全部深い。ああ、長楽ネタ出してくれるんだ嬉しいなとか、TAIGAさんが叩きつけるやつ、脳内では散々イメージしたことあるけど映像で見るの初めてだなとか。エッセイでこういうこと言ってたなとか、武道館の漫才のときはこうだったなとか。だから、本当に全部が楽しかった。深々と刺さった。アメーバにもなれたよ。気がついたら、LIGHTHOUSEに「ありがとう」と叫んでた。オードリーのおふたりに泣かされた。

若林さんへのリスペクトとお守り

 俺は、長らく若林さんを私淑してきた。俺はお笑い芸人でもラジオパーソナリティでもないけど、勝手に師匠と呼んでいる。クリエイティブをやる上での師匠。心の師匠。人生の師匠。
 面白いものを作るという笑いのちから、言葉の美しさと脳の中身を文字で表現する傑出した能力、人への深い深い深い優しさと情、物事を見つめるときの鋭い視点と広い視野、真面目で誠実なところ、それでいてアナーキーで燃えたぎるような熱量(情熱がないとたまにおっしゃるけど、あるように見えることも多い)、人生への誠実さ、歌、そして何より人柄。自分が、こうありたいな、こういうことができる人って素敵だよな、こういう能力があったらな。多くの多くの多くの分野において、そう思う理想の人。俺がこうありたいという道の、はるかはるか先を歩いている人。おこがましくも、そういう風に思ってきた。でも、それは純度100%の驕りであることを知った感じがする。若林さんは、死にもの狂いで努力したら、16万人の網膜に1年間色をつけられる人だ。俺は1年間限界まで努力して、4人とか6人とかをちょっと笑わせた程度だった。はるか先すぎて、遠すぎて、それはもう、道が繋がっていない状態も同然じゃんね。俺は俺こそが「明日のたりないふたりだ」と思って数年生きてきたけど、このままだとその明日が来ねえなと思った。身の丈を知った日だった。焦った。
 でも、矛盾するようだけど、その一方では、例えば若林さんの10000分の1の力しかなくても、そのさらに100分の1だったとしても、俺は俺で俺の人生をやる。作品を作ろう。いつか、若林さんみたいな生き方ができたらいい。そういう風にも思えた日だった。若林さんが15年間積み重ねたように、俺も俺の15年間を積んでみようと素直に思える。まだ4年。これからこれから。

 それにしても、すごいお守りをいただいてしまった。夢のような一日だった。俺はこれから先、まだまだ頑張れる。最後にファンアートを添えて。最高にトゥースな一日を、どうもありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?