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「タブラの楽譜ってあるんですか?」という問い。 - - リズム記譜について

先日、『インド音楽に楽譜はあるんですか?という問い』に応える記事を書いた。記譜法も浸透はしているけど、長年口承で伝えられてきたニュアンスのようなものは、やはり口承でないと受け継がれていかないよね、という内容で。

もちろん、タブラも同じである。

私の一番初めの師匠マッラー・ゴーシュ師は、「ノートに書いたものを見て練習しても、実際に演奏するときにノートがないと演奏できなくなってしまう。まずは覚えて、空で歌えるようになってから叩く練習をしなさい」とよく言っていた。
それで、コルカタでの下宿生活では、料理や洗濯など家事の間もずっとタブラのコンポジションを歌っていたが、いっこうに覚えられないので、なかなか指づかいを教えてもらえず、苦労したものである。 


タブラのリズムの記譜は、西洋音楽のような音符記号を用いるのではなく、口唱の表記である。和太鼓でいう「ドンドンドドーン・カッカッ・・」などと同じだ。

よく「口タブラやってよ!」なんて言われたりもするが、タブラことばを「タブラ・ボル」、その口唱は「ボル・パラン」という(ベンガル圏の場合。ヒンディー語では「ボール」と伸ばして発音される)。「タブラ・ボル」はタブラの音を擬音化したもので、すごく多彩な音色を出せる太鼓がゆえに、まるで謎の言語を喋っているかのように聴こえる。
そして、「ボル・パラン」の伝承では、リズムのみならず音の高さや長さやフィーリングを正確に歌わなければならない。

「ボル・パラン」に続いて、そのコンポジションを叩くシーン。
私の師匠、シュバンカル・ベナルジー師。

シーラ・チャンドラのように、「ボル・パラン」をヴォーカルパフォーマンスとして極めているアーティストもいる。


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「タブラ・ボル」は、音名サレガマと同じく、言語に依存しているので、発音も表記も、地域によって微妙に異なる。
例えば基本のボルで「tirkit」というのがあるが、
 
ヒンディ語では ति र कि ट
ベンガル語では টে রে কে তে

と書く。

発音はヒンディ語だと「ティラキタ」、ベンガル語だと「テレケテ」 だ。
これをローマ字で書くとすると「tirkit」または「terekete」となる。

外国人がタブラを習うと、はじめは現地の文字が書けないので、このようにローマ字で書くことになるだろう。双方とも母音+子音という構造を持つということを考えると、ローマ字に置き換えるのはそう悪くはないのかもしれない。
 
ただ、イコールの発音が無いものがある以上、注意しなければならない点もいくつかある。

私が一番衝撃だったのは、ヒンディ・ベンガル語には、「歯茎音」と「そり舌音」が存在することである。

例えば、基本中の基本の、たぶんみんなが初めて習うボルに

「ダ・ダ・テ・テ・ダ・ダ・トゥン・ナ」

というのがある。
これをローマ字表記にした場合、

Dha Dha Te Te Dha Dha Tun Na 

と書くのが一般的。

私も、たぶん日本でか兄弟子にこうやって書き方を習って(今の師匠は記譜で教えず、100%口承なので)、「ダァ・ダァ・テッ・テッ・ダァ・ダァ・トゥン・ナァ・」と歌って覚えた。
日本語には「ダ」といえば「ダ」しかないのだが、このボルの「ダ」は「Da」ではなく「Dha」であり、有気音、つまり腹から出すように発声しないといけない、と教わったので、注意して歌っていた。

そうやって2種類あると思っていた「ダ」だが、、、
ベンガル語で会話が少しずつできるようになってから、「ダ」にはなんと4種類ある、ということを知る。

日本語で「d」の発音するとき、舌は上顎の手前の方に付けると思う。
実はそれと全く同じといえる発音はない。

ベンガル語(カッコ内はヒンディ語)だと、「d」の発音は
・ দ (द)  = 舌を歯の裏につける「d」
・ড (ड) = 舌を上顎の真ん中辺りに反らせてつける「d」

さらに腹から声を出すバージョンで
・ধ (ध) = 舌を歯の裏につける「dh」
・ড(ढ) = 舌を上顎の真ん中辺りに反らせてつける「dh」

の4種類がある。

「t」も同じである。
・ট (त)= 舌を歯の裏につける「t」
・ত (ट) = 舌を上顎の真ん中辺に反らせてつける「t」

腹から声を出すバージョンで
・ঠ (थ) = 舌を歯の裏につける「th」
・থ (ठ) = 舌を上顎の真ん中辺に反らせてつける「th」

の4種類がある。

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で、先の「Dha Dha Te Te 」である。
あるとき、1個目のTe と、2個目のTeの発音が違うことに気がついた。
もしや?? と思って、ベンガル人の兄弟子に表記をたずねたところ、

Dha Dha Te Te は 
ধা ধা  টে তে  (ヒンディだと धा धा ति ट)だった。

恥ずかしながら、長いこと「ダ・ダ・テ・テ」と思いっきり日本語の発音で歌っていたし、だれにも指摘されなかった。

さらに、この2種類のテটেতে ができるようになったと同時に、「テレケテ」や「ティラキタ」というボルが、「テテカタ」の高速バージョンだということに気がついた。「テテ」টেতে をはやく言うために、「テレ」টেরেと舌を転がすのである。


こうやって間違えて書いてしまうと、書かれたものだけを見て、正しい発音やニュアンスは忘れ去られ、どんどんと自己流に変わっていってしまう。

そもそも、タブラの記譜も人によって違ったりと、曖昧な部分が多い。
やはり、なんといっても口唱が大前提にあっての記譜なのである。

拍節の記譜法などは、また改めて。

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