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ありそうでなかった本能の共有。森鴎外『ヰタ・セクスアリス』※ネタバレ注意

 誰でも性に対する関心には個人差があるものです。今ではノースリーブでTikTok投稿をしている私ですが、中学生の頃は特に同級生の下品な会話に対して強い嫌悪がありました。しかし相反して本屋で小説を覗いて空想したこともあります。

 この作品では、そういった主人公の金井や周囲の色事を、ある者は露骨に、ある者はすこし婉曲した表現を用いて描いています。

 金井は正直かつ正確に心情を表現し、直接的な表現は伏せながらも、自らの揺れ動きを丁寧に記したのち、最後に「VITA SEXUALIS(ラテン語で性生活の意)」と殴り書いて書棚に放り込みました。

 これについて拙いながらに想像を膨らませたいと思いました。

 金井は自らの欲求に対し肯定的でも否定的でもなかったように思います。ただ、それに過剰に振り回される者や、自分に箔をつけるもののように考えているような余計なものを嫌っているように見えました。

 現代でも同じような人はいますね。「ホテルの前で土下座」「経験人数を自慢する」などの行為が上記にあたると考えられます。また自らの学生時代を振り返っても、やったのやらないのと、いわゆる「イキリ」はとても多かったです。男同士の下品な会話は大学生になってもあちこちから聞こえてきました。

 話を戻すと、金井は自分の欲求を「動物としての本能」としか思っていなかったのではないでしょうか。殴り書いたタイトルがそれを表しているように思います。ストレートに生活を描いただけ。ただそれだけだったのだと思います。
 もし自叙がしたいなら、自分と誰かの恋愛だとか、関係のない人物を登場させる意味があまりないように思えます。他の人のことをわざわざ書いたのには、きっとなにか意味がある。

 そのヒントになるのは、金井の長男が高等学校を卒業するにあたって、家庭での性教育を目的に本書が書かれたという冒頭での記述。
「性について書かれた本はあっても、性欲について書かれた本はない。前から何か書いてみたかったが特に思いつかなかった。ちょっと書いてみよう」
という趣旨のことが書かれています。

 ただ、書いているうちにどこか、金井がもともと持っていた厭世的な性質や、いわゆる「イキリ」ではない部分、などが露出してきてしまったのではないかという気がします。本来は、結婚までを書くつもりだったそうです。しかし実際には二十歳過ぎくらいの出来事までを書いて、先の通り放り出してしまった。これが実際に結婚までを描いていたら、単なるラブストーリーとして終わっていたのではないでしょうか。

 ヰタ・セクスアリスを性生活と題するために必要だった、たった一つの偶然。突如断ち切られる記述。放り投げられた原稿。単純に面白いと思いました。

 金井は世の中に出るかわからないとまで言っていましたが、金井の子息だけでなく、多くの人の目に触れることとなった性生活。

 性がタブー視されることの多い日本において、ひっそり投じられた一石のように思いました。

 

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