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パラサイト 半地下の家族

画像引用:映画『パラサイト 半地下の家族』オフィシャルサイトより

現代韓国の偶像劇。

きっと匂うとはそういうことなんだ。
それは「友だちの家のカルピスが薄い」みたいなことだと思う。
日本語にも「お里が知れる」とか言葉があるけれど、こういう言葉って生命力を萎えさせる何かがある。

韓国は珍しいくらいの競争社会であり、アメリカ発のグローバリズムと親和性が高い。
その一例として超学歴主義があげられる。

名門大学を出なければ就職すら危うく、学力で人間の格付けがされる国。
グローバリズムは「全てのものには値札がついている」(@内田樹)という信奉のことである。
「もの」を「人間」、「値札」を「学力」を置き換えれば学歴主義である。

学歴主義者は「努力する人間はその恩恵にあずかれる」ということと同時に「努力しない人間は不遇されてもいい」ということに同意署名している。
韓国が導入したグローバリズムの原産地アメリカはその建国から原住民(インディアン!)を殺戮した国である。
その歴史については強い抑圧がある。
グローバリズムは弱肉強食の世界であり、アメリカのいわゆるヤッピーに代表されるように「努力と幸福は相関するべきだ」という思想が根強い。
成功するためには邪魔者を排除し、弱者を蹴落とし、切り捨てる(そして、そのことすら忘れる)。

息子が金持ちになるために石を使って、自分より貧しい地下に住む男を殺そうとする。
これは自分の中の貧乏人(弱者)を切り落とせば金持ち(強者)になれることのメタファーである。
それは失敗し地下という戦争と貧困の暗部から復讐しにやってくる。

韓国も競争社会になる前は「冷えた臭い飯を食った仲間」がたくさんいた(見たことがないのでわかんないけど)。
貧しいなかでいつか豊かになってやると事業(台湾カステラ)を興し、夢破れた青年たちがいた。
パク社長もキム・ギテクも地下の男もかつては青年起業家だったのである。
だからパク社長の「ユン運転手は匂いが度を超えてきやがる」という発言がどうにも許せないのである。
「お前今でこそカッチョいい英語使ってるけど、少し前までは一緒だったろ?貧乏人なめんなよ」
自分がそうなったかもしれない「可能態」を忘れてはならない。
弱者への共感をなくした強者に残された道は覇道だけだから。

パク社長を刺した後のギテクを上から撮る庭のショット。
彼の影はどこか地下の男に似ている。
だから彼の行く場所はわかる。

地下の男の言う「ずっと昔からここ(地下)にいた気がする」というのは「俺は多分ずっと貧乏人でこれからも貧乏なのだろう」という過去から未来へまっすぐ貫く閉塞感・絶望のことを言っている。
それは地下の閉鎖性と構造的に似ている。

妹は金持ちになったら貧乏であったときの生活を忘れる人の代表である。
他人の家の浴槽を我が物顔で使える。
だから物語の最後には死んでしまう。
過去の自分を忘れたパク社長が死んでしまったように。

息子だけは戸惑う。
不安になって自分のアイデンティティを確かめるために女の子に聞くわけである。
「俺ってここに似合ってる?」は「俺ってやっぱり貧乏人の方だよな?臭くない?」に置き換えられる。

事件後に目が覚めた彼には誰も彼もが演じているようにしか見えない。
自分たちがそうだったみたいに。
だから警官に見えない警官、医者に見えない医者に笑うのである。
医者の振る舞いも「自分の傷跡を見て、それっぽいことを言う」ようにしか見えない。
でもニュースに映る事件には笑えない。
それは演技でもなんでもない、本当に血が流れた事件だったと知っているから。

ラストで息子が父に宛てた手紙に書かれる計画は達成されないだろう。
この映画ではユンの言うように計画は絶対にその通りにはいかない。
それは息子が石を捨てたことにも暗示される。

韓国では「弱者を切り捨てる集団は生き残れない」(新感染)、「貧乏人なめんなよ」(パラサイト)など日本ではその有効性を失った常識が映画を通して周知されるようになった。
しかし、映画を使ったプロパガンダと言えばアメリカの御家芸である。
グローバリズムという「アメリカから輸入した失敗」を同じくアメリカの方法である「映画を利用した周知システム」によって指摘する違和感には気付いた方がいいと思う(わかりにくくてすまない)。
集団が生き延びるための常識さえアナウンスされない日本よりは希望が持てるかもしれないけどね。
それにどのみち、僕が気付けるような違和感には韓国の知性は気づくと思う。
少なくとも韓国は自国の問題をほくそ笑むようなアイロニーをもって剔抉できる国になったみたいです。

追記
・石=作中でもろに言われている通り象徴。
何の象徴か?もちろん金、財運の象徴
この石を持ってきたことによりあの息子、家族の財運はたしかに向上する。
いわば切符なのである。

・英語=財、成功した世界とのつながりを示すもの。
というか英語以外にもイリノイ州立大だとか「アメリカ的なもの」はすべて上と同義。
英語学習については韓国も日本同様の不安を抱えているのだろう。
そもそも外国語を学習する動機は「異文化のアーカイブに直接アクセスしたいから」である。
日本人同士で英語を話してみたって意味がない(ヨンギョの“Is it ok with you?”)。
外国人と話すとしても交話的なメッセージ(「醤油とって」とか「トイレの紙が切れてる」など)ばかりやり取りしていてもあまり有益じゃない。
「TOEIC○○点以上あると就活に有利」みたいな集団内での競争ための道具としての外国語は本質から逸れている。
少なくとも僕はそう思う。

・グソン
インディアンにハマるグソンは全ての偶像を反射する鏡の役割。
父親には「インディアン(弱者)を忘れるな」、半地下家族には姉の言うように「何かのフリをしている」ことを示唆している。

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