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背伸びしても いいじゃない

かなり昔のことなんだけど、とあるお店に、ご主人所有のアンティークの棚について、取材しに行ったことがある。

行ってみたら、その棚にバカラのグラスがびっしり飾ってあった。わたしが、これはすごいコレクションですねって驚いたら、ご主人は、いやこれはコレクションじゃないんだよって仰ったのである。

「これは実用品なんですよ。毎日使ってるし、うちでは子どもにも使わせる。割る?割ってもいいんだよ、実用品だから。幼いうちから良いものを使うのも経験のうちなんだ」。
貧乏人のわたしは、ヒェーってなったのを覚えている。口にも出したかも。

そういえば、わたし自身もかなり若い頃から伝統産業の取材をずっと続けている。でも、若い頃は今よりもっと、本当にお金がなかったもんだから、B品市のようなマーケットに買い物に行くのが好きだった。
そこである時、陶芸家のおっちゃんが「君はこういうのが好きなの?よく来るの?」と話しかけてくれた。

これもまた昔の話なので、細部は定かじゃないんだけど、わたしは
「100均で食器買ったら、大事にしなくなっちゃうじゃないですか?ここで買ったら、難ありだとしてもそもそものクオリティが全然違うでしょ?しかも、ああコレは一点ものだったんだよなとか、あの陶芸家さんの作ったやつなんだぞとか、作った人の顔が浮かんでくるというか、なんか大事にせざるを得なくなるじゃないですか?そういうの、いいっすよね」って、なんかそんなことを答えたんだったと思う。

たぶん、雑談の流れというかノリで、そんなに深く考えたわけじゃなくてテキトーに言っただけなんだけど、おっちゃんは存外真剣な顔で「いやほんとそうなんだ、君の言う通りだよ」と頷いてくれたんだった。

これは、その時のおっちゃんから買った小鉢。
すごく繊細な器で、小さい欠けができてしまったので
食器としては使ってないけど、まだ持ってる。


もしかして、バカラのグラスも、わたしのB品市と同じような話だったのかもしれないな、と今になってうっすら思う。
あの当時は、とにかく金額と量にビビっちゃったんだけど。

そういうことを踏まえて、このたび、
高校生になる娘の入学祝いを、ちょっとだけ奮発してみることにした。

お祝いは、ケイトスペードの財布にした。これは外箱。
中身がどんなお財布かはひみつ。


ここらで、良いものを長く使う経験をして欲しいと思ったからだ。

高校生がブランドなんて、とは思わなくもないんですよ、私だって。
だけど、娘本人がアガるもので、かつ質のいいものとなると、まあこの辺が落とし所だった。

うんと若い頃に、背伸びしてでも良いものを使う意味は、あると思う。
まあ、まずはこれをボロボロになるまで使ってさ、
次、自分でお財布を買い替えるときには、今よりちょっと大人になっていてくれよな。期待している。

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