石朶|ishida

薄っぺらい自分の為に書くだけの駄文置き場(ほとんど雑な観劇ログ。たまに独り言) 観劇/…

石朶|ishida

薄っぺらい自分の為に書くだけの駄文置き場(ほとんど雑な観劇ログ。たまに独り言) 観劇/アート/AC/HSP/「えきゃきゃ!」🍛

記事一覧

寝れないとき、朝日2024の戯曲本開いて、あの場面この場面ペラペラしては思い出して笑ったり切なくなったりして、最後には遺書~群唱のところ読んで、気がつくとやっぱり涙が出てきて、やっとなんだか眠りにつけそうな気分になれる。なんか、私にとってのおまじないみたいになりつつある。

石朶|ishida
1日前

自分の名前が嫌いとは言わないけど、つまらない理由であんまり好きとも言えなくて。改名したいとかではないけど。でも、「朝日」を観て、何回も観て、ずっと考えて、元凶となっていたその一文字を少し、なんか自分にお誂え向きかもなと思うようになりつつある。好きになる、とは別で。

石朶|ishida
1日前

「少年」が、どんな気持ちで出てきて、そこに居て、去って行くのか。ちょっとした表情も切なくなるんだよな…

石朶|ishida
1日前

そう、10年前の自分はまだ「なんかある」と思ってたから、思えてたから。あの自分にはみよ子さんの、悲しみ、苦しみ、希望、美しさがきっとまだ分からなかったと思う。だからやっぱり2024の朝日が観られたのは、何もかも巡り合わせなんだとすら思う

石朶|ishida
2日前

さびしいね

石朶|ishida
2日前

あと、客席の年齢層が高めなのも個人的には落ち着く…笑。花組芝居とかもそうなんだけどさ。なんかこう…若いキャピってした感じの客層だと落ち着かないんだよね…笑(言うて私もそう若くは無い)

石朶|ishida
2日前

10年前にもし朝日を観ても、鮮烈さを覚えることに変わりは無いと思う。けれど、みよ子さんのことをこんな風に思えるのは、やっぱり今の年齢だからなんだと思う。良くも、悪くも。

石朶|ishida
2日前

どの場面も、セリフも、みんなみんな好きだけど、今日の「遺書」は殊更良かった。なんか、熱かった。私がずっとあの「遺書」のことを考えてるせいもあるだろうし、なんかもう5人が神がかっていて神々しさすらある。今、彼らの朝日を観られること、しっかり焼き付けたい。色々な感覚に。

石朶|ishida
2日前

「朝日」のことを考えて、考えれば考えるほど、目を背けることで日々をどうにかやり過ごしてきた、自分の中に横たわる寂しさの大きさを思い知らされる

石朶|ishida
3日前

10年前の朝日も観ていたら、10年前に朝日に出会っていたら、私の何かは変わっただろうか。良くも悪くも、この年に、この年齢で、朝日を知ったことを忘れたくなくて、この年だからこそできるから何度も足を運んでる節は、ある。もちろん純粋に、素晴らしいお芝居として何度も観たいのは前提として。

石朶|ishida
4日前

「茶化すことだけ上手になって」

石朶|ishida
4日前

仕事嫌だー本当に嫌だー辞めたいけど辞める勇気がないー疲れたー無理ーって思ってるのに、案外あの社畜のくだりは普通に笑って観てられるんだよな。っていうだけの気付き。

石朶|ishida
6日前

生まれ変わりとか輪廻転生とか、もし自分の来世でそういうものが待ち構えているとしたら拒絶したいとすら思ってたんだけど。朝日~を観て、あぁ、パズルか、と思ったらなんか悪いものじゃ無い気がしてきた。ね、パズル。そしてその時がもし来たら、私も「寒さ」に立ち向かいたい。できるかな。

石朶|ishida
6日前

みよ この パズル の帰着するところが 輪廻転生 なのか…と気づいたときの衝撃と切なさと幾ばくの光のような…うぅ…、

石朶|ishida
7日前

みよ子の言葉を借りれば、とうに寒気はずっと昔に感じてる。もしかしたら、激痛もすでに走っているけど本能的に感覚を鈍化させてしまっているのか、あるいは己の寒気はまだ激痛に至るには足りないのか。いずれにしても、激痛が来るその時を待っているだけの状態であると思う

石朶|ishida
7日前

朝日の戯曲本、気になる場面好きな場面だけパラパラして読んで、思い出して、舞台との違いを見つけて、笑って、泣いてる。みよ子の遺書が本当に良いというか好きというか。悲しいけど、好き。そんでもってまた舞台で観たい!!!

石朶|ishida
7日前

寝れないとき、朝日2024の戯曲本開いて、あの場面この場面ペラペラしては思い出して笑ったり切なくなったりして、最後には遺書~群唱のところ読んで、気がつくとやっぱり涙が出てきて、やっとなんだか眠りにつけそうな気分になれる。なんか、私にとってのおまじないみたいになりつつある。

石朶|ishida
1日前

自分の名前が嫌いとは言わないけど、つまらない理由であんまり好きとも言えなくて。改名したいとかではないけど。でも、「朝日」を観て、何回も観て、ずっと考えて、元凶となっていたその一文字を少し、なんか自分にお誂え向きかもなと思うようになりつつある。好きになる、とは別で。

石朶|ishida
1日前

「少年」が、どんな気持ちで出てきて、そこに居て、去って行くのか。ちょっとした表情も切なくなるんだよな…

石朶|ishida
1日前

そう、10年前の自分はまだ「なんかある」と思ってたから、思えてたから。あの自分にはみよ子さんの、悲しみ、苦しみ、希望、美しさがきっとまだ分からなかったと思う。だからやっぱり2024の朝日が観られたのは、何もかも巡り合わせなんだとすら思う

石朶|ishida
2日前

さびしいね

石朶|ishida
2日前

あと、客席の年齢層が高めなのも個人的には落ち着く…笑。花組芝居とかもそうなんだけどさ。なんかこう…若いキャピってした感じの客層だと落ち着かないんだよね…笑(言うて私もそう若くは無い)

石朶|ishida
2日前

10年前にもし朝日を観ても、鮮烈さを覚えることに変わりは無いと思う。けれど、みよ子さんのことをこんな風に思えるのは、やっぱり今の年齢だからなんだと思う。良くも、悪くも。

石朶|ishida
2日前

どの場面も、セリフも、みんなみんな好きだけど、今日の「遺書」は殊更良かった。なんか、熱かった。私がずっとあの「遺書」のことを考えてるせいもあるだろうし、なんかもう5人が神がかっていて神々しさすらある。今、彼らの朝日を観られること、しっかり焼き付けたい。色々な感覚に。

石朶|ishida
2日前

「朝日」のことを考えて、考えれば考えるほど、目を背けることで日々をどうにかやり過ごしてきた、自分の中に横たわる寂しさの大きさを思い知らされる

石朶|ishida
3日前

10年前の朝日も観ていたら、10年前に朝日に出会っていたら、私の何かは変わっただろうか。良くも悪くも、この年に、この年齢で、朝日を知ったことを忘れたくなくて、この年だからこそできるから何度も足を運んでる節は、ある。もちろん純粋に、素晴らしいお芝居として何度も観たいのは前提として。

石朶|ishida
4日前

「茶化すことだけ上手になって」

石朶|ishida
4日前

仕事嫌だー本当に嫌だー辞めたいけど辞める勇気がないー疲れたー無理ーって思ってるのに、案外あの社畜のくだりは普通に笑って観てられるんだよな。っていうだけの気付き。

石朶|ishida
6日前

生まれ変わりとか輪廻転生とか、もし自分の来世でそういうものが待ち構えているとしたら拒絶したいとすら思ってたんだけど。朝日~を観て、あぁ、パズルか、と思ったらなんか悪いものじゃ無い気がしてきた。ね、パズル。そしてその時がもし来たら、私も「寒さ」に立ち向かいたい。できるかな。

石朶|ishida
6日前

みよ この パズル の帰着するところが 輪廻転生 なのか…と気づいたときの衝撃と切なさと幾ばくの光のような…うぅ…、

石朶|ishida
7日前

みよ子の言葉を借りれば、とうに寒気はずっと昔に感じてる。もしかしたら、激痛もすでに走っているけど本能的に感覚を鈍化させてしまっているのか、あるいは己の寒気はまだ激痛に至るには足りないのか。いずれにしても、激痛が来るその時を待っているだけの状態であると思う

石朶|ishida
7日前

朝日の戯曲本、気になる場面好きな場面だけパラパラして読んで、思い出して、舞台との違いを見つけて、笑って、泣いてる。みよ子の遺書が本当に良いというか好きというか。悲しいけど、好き。そんでもってまた舞台で観たい!!!

石朶|ishida
7日前