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占いを信じたせいで一生の友達をなくしそうになった、Sちゃんと私の話。

登場人物

私…この文章を書いている人。40歳。女。石垣島に移住したのち占い師になるも病んでしまう。今は元気。

Sちゃん…友達。同じ小学校の同級生。うちの実家から歩いて5分くらいのところに今でも住んでる。

Aちゃん…元友達。けんかっ早い。Sちゃんと友達だった。遠方へ引越し済み。

Sちゃんと私

小学生の頃の話。最初、私はSちゃんとではなくAちゃんと友達だった。Sちゃんは気軽に声をかけられないような、独特の落ち着いた雰囲気を漂わせている女の子だった。

かたやAちゃんは相当に気が強い、いっつも妹を泣かしているやんちゃで弁の立つ女の子だった。私の親とAちゃんの親が仲良しだったので、小学生の頃はよく、私の母、私、弟でAちゃんの家に遊びに行き、ご飯を食べたりしていた。(そして母たちはビールを飲む)

Aちゃんに負けず劣らず私も相当な気の強さだったので、私とAちゃんは何度もケンカをした。スイッチが入ればしつこいし口では絶対に負けない私ではあったが、結構早めに「らちが明かない」と察しAちゃんとは友達じゃなくなる。

そのあと、Sちゃんと私が仲良くなった「これ」というきっかけはあまり覚えていない。小学校5年生くらいのときには2人で遊ぶ仲になっていた。Sちゃんは若くして老熟しているタイプで、中学生の頃はゲイリー・オールドマンが好きだった。レオンを見てゲイリー・オールドマンを好きになる中学生ってまじでイケてる。

★レオンは殺し屋の映画なので閲覧は自己責任でおねがいします★


Sちゃんは新聞をこまめに見て新作映画の情報を教えてくれたり、映画雑誌の切り抜きをくれたりした。私が大作映画だけでなく秀作映画も好きな理由は、Sちゃんがミニシアター系の映画も好きだったからだ。

「これおもしろいよ」って、TV番組『ファッション通信』も教えてくれた。番組が放送された翌日は、かわいい服や個性的なブランドについて語り合った。『アンジェラ15歳の日々』という、今でも根強い人気があるドラマを教えてくれたのもSちゃんだった。「主役の女の子がかわいいんだよ」このドラマにはクレア・デインズという女優さんが出ていて、後日ロミジュリ旋風の時にSちゃんの先見の明に驚くことになる。

で、ここ説明が少し難しいんだけど、Sちゃんは今でいうキラキラ女子ではない。かといっておたくという言葉とも違う、ある意味仙人…いや、クラシックな意味での魔女のような女の子だった。

そのクラシックさを伝えるのに一番手っ取り早いのが、現在までも携帯・スマホを所持したことがないという事実だ。Sちゃんへの連絡手段は電話。または手紙かFAX。聞いていないけれど、PCとかは持っていないだろう。

自分をしっかり持ち、好きなものを教えてくれたり、一緒に楽しもうとしてくれるSちゃんは、友達ってだけじゃなくお姉ちゃんのような存在だった。さらに、私を否定することは一切なく、いつでも穏やかで優しいお母さんのような存在でもあった。

Sちゃんは手先も器用だったので、ポストカードに雑誌のコラージュをしたお手紙を私の実家のポストに時々入れてくれた。自分で作ったから、と、ジーパンのリメイクのバッグをプレゼントしてくれた。お湯を入れるだけで飲めるスープとかスーパーでは見ない食べ物をくれたり、洋服そのものもプレゼントしてくれた。

でも、私がその世界から飛び出そうとするときが来るわけなんですよ。

 

私、迷走期、到来

イギリスから帰ってきた私は20歳くらいから自主映画のオーディションを受けたりアイドル活動をしたりして、人生を賭けられる仕事を探していた。しかし22歳で精神を病む。エンドレス自殺&手首切ったり身体を切って心療内科に通院するもODをくり返し、無事閉鎖病棟へ入院となる。この頃はSちゃんにはほとんど会えていなかった。

24歳頃にはそこそこ元気になったが、その先は恋愛にどっぷりハマる。といっても、別にとっかえひっかえをするではなく、一途に、モラルハラスメント男子と付き合う私なのであった。

冷静に言い訳をするならば、別に、恋がしたかったわけじゃない。当時の私がしたかったことは、空洞みたいな自分とは何たるかを、人に反射させることで知ることだったと思う。

時を同じくして私は小劇場の舞台に立ち始める。小劇場の舞台というのは、一部の大人気劇団以外は常に役者が不足しており、内容を問わなければ手を挙げるだけで舞台に立てる。役者だか女優って言い方はさておき、お手軽に「何者か」になれるのだ。

自分の使い道を持て余していた私はもちろん手を挙げる。が、すぐに「おもしろくない舞台なのに自分が出るからといってノルマ分のチケットを友人に売りつけること」や「チケットを売るために興味がない役者友達の舞台を見に行ってその後打ち上げに行くこと」が最強に苦痛になり、簡単には手を挙げなくなる。

でも自分が好きな劇団や面白いと思える舞台なら別だった。

私はSちゃんとの交流を細々ながら続けていた。目の肥えているであろうSちゃんに見せられるくらい面白いと自分で納得できる舞台でなければやりたくなかった。Sちゃんに電話や手紙で舞台の出演を知らせると、千葉からはるばる東京の色んな小劇場に見に来てくれた。

小劇場では舞台終了後、大抵客席にて「自分が呼んだお客さんおもてなしタイム」がある。Sちゃんは大抵、この時間を待たずに終演後すぐ帰る。もちろん私を待っていてくれる方もとてもありがたいけれど、先にサッと帰るのにも美学を感じる。ちなみに私も友達の舞台見に行ったときはあんまり待ちたくない派。

だから、舞台の話をするときは、公演が終了した別日にSちゃんに会って、感想を聞くという感じだった。

25歳くらいからは、舞台があればSちゃんを呼ぶけれど、私が東京に住んでいたこともあって単純に話をしたり遊ぶことは少なくなっていった。今思えば、東京で待ち合わせてお茶をしたり、映画を見たり、一緒に舞台を見に行けばよかったのにね……(人は突然石垣島へ移住をしてしまうことがあるんだから)。

Sちゃんは東京に算命学という占いの勉強をしに通っていた。当時、私と彼氏との相性を占ってもらったときのSちゃんの「うーん」という、何か少し言いづらそうな顔を覚えている。(現在の私がすべてを物語っている)

その頃の私はSちゃんの大切さに気付けず、Sちゃんの見守ってくれる優しさに気づけず、彼氏の世話ばかりしていた。33歳で決定的に「恋愛シネ」ってなるまでは、とにかく彼氏しか見ていなかった。あれだけ生涯の仕事を見つけたかったのに、気が付けば彼氏>仕事になっていた。小劇場の閉鎖的コミュニティも楽しめずうんざりだった。

もちろん、うんざりだったのは自分のせい。勉強もせず怠けたうえで「何か楽しいことはないだろうか」と亡霊のごとく、何にもなれない私を引き連れ界隈を徘徊していた。それに、当時の彼氏は振り回す系が多くって、根気良く振り回されてあげる私、なんて健気でいい女なの? というただの共依存者だった。メサイアコンプレックスね。そんな中でも結婚の話は出てくるし、ある程度結婚の話は進んだりした。

がしかし。20代では結婚せず、なんやかんやで35歳頃に結婚できそうな相手と出会って調子に乗るも、今度は自分で壊してしまう。恋愛シネって言っちゃったししょうがない。この頃になるとSちゃんとは連絡を取らなくなっていた。

その時の私は「普通」に執着していた。明らかに自分の形じゃない「型」があって、骨を折りながらむりやりハマりに行くみたいな罰ゲーム。みたいな。痛いし苦しいし意味わからんのに、(今は違う感想があるけど当時は)「みんなはなんでそんな上手にハマれるの?」 「なんで私だけ結婚できないの?」「やっぱり私が悪いの???」みたいに思ってた。

うーん。結婚をすることが相手と楽しい幸せな未来を築くためではなく、「自分の普通さを証明するため」になっていたんだね。(こんな状態で結婚できなくてよかったね私マジで!)

で、自分を見失っている私なんてSちゃんに見せられないなと、私は無意識で強く感じていたんだろう。電話をかけてみても、この頃からSちゃんの家の電話がつながらなくなっていた。鳴るけれど出ない、みたいな。えー? 引越ししちゃったかな? なんて悠長に考えていた。本来ならばここで手紙を書けばよかったのに、電話をしても出ないことをいいことに「また今度にしよう」と、自ら疎遠になっていった。

 

Sちゃんとのつながりが切れた

35歳で石垣島に引っ越し、無事結婚もナシになった私は、細々とライターの仕事をしていたが「こりゃ真面目に手に職をつけないとやばいっしょ」と占い師になることを決意する。

私の人生にはいろんなツッコミどころがあると思う。なんでそこで占い師なのよ。と私も思う。でも魂が求めたから仕方がないのだ。

とはいえ、幸か不幸か私には占い師の適性があった。モラルハラスメントの彼氏を救ってあげるべく目覚めたメサイアコンプレックスが役立つときが来たのである!(占い師になるにはオススメできないパターンですからね)

占いを勉強することに決めて選んだのは算命学。そう、Sちゃんが東京に習いに行っていて、私も何度か占ってもらったあの占術だった。

だからなぜ算命学なのかと聞かれたら、もちろんSちゃんの影響は大だ。でも、それだけじゃなく、占いが好きだった私がこれまであらゆる占いで自分を占ってみた結果、算命学が一番自分の生きづらさを説明してくれたような気がしたのだ。

その、生きづらさを説明してくれた感は、通信で算命学を教えてくれる素晴らしい先生に出会って確信に変わる。

通信講座の宿題で先生が添削してくれた「イシバシサキコの宿命・人生」(生年月日で人を観て1枚のレポートにどんな人かをまとめる。自分を占う回があった)についての解説が、今までのどの占いにも書かれていなかったドンピシャなことが書かれていたのだ。

衝撃を受けたし、何か、自分のことを知ってもらって嬉しいという、救われた気分にもなっていたし、またしてもここでSちゃんのすごさ(10代から算命学を選び学び始める)を思い知らされるのであった。

オンラインの占い師になって算命学で悩んだときも、時々Sちゃんのことが思い浮かんだ。連絡を取ろうと思ったけれど、電話がつながらなかったこともあり、ちゃんと話せるような実績と私と状態になってから連絡したい。そんな欲求が芽生え、連絡を取らない期間は合計5年以上にもなっていた。

 

ある日、占い師として奮闘する日々を過ごしていると、母から「Sちゃんのお母さんにスーパーでばったり会った」という話を聞いた。私の母はフルタイムの仕事をしており、Sちゃんのお母さんとは買い物の時間帯がずれていて、なかなか会うことはない。Sちゃんのお母さんいわく、Sちゃんは今も以前と同じように私の家から5分くらいの実家で暮らし、変わらず趣味に生きているそう。

私は心の中でわだかまりになりかけていた「Sちゃんに連絡をする」ということを思い出し、このタイミングで一回電話をかけてみようと思った。

はっきり言って、ちょっと怖かった。ふらふらいろんなところに行った挙句、今の自分の状況が恥ずかしいからってSちゃんに何も言わず石垣島に引っ越してしまったこと。今、算命学を勉強していること(Sちゃんはきっと喜んでくれるにちがいないのに)。なんかが。

今まで、Sちゃんはたくさんの優しい気持ちを私に向けて仲良くしてくれていたのに、私が受け取れていなかったことを全部謝って、また地元に帰った時に会う約束をしたい。そう感じながらSちゃんの家に電話をかけた。すると

「この電話番号はおつなぎできません」

とアナウンスが流れた。

私は混乱しながらも、状況の想定をまったくできずに、もう一度電話をかけた。再び、一度も電話の呼び出し音が鳴ることなく、無慈悲なアナウンスが流れ、ほどなくして電話は一方的に切れた。

あのSちゃんに嫌われてしまった? 私の心の中で、小さいときから大事にしていた大切な場所が音を立てて壊れてしまったような気がした。ああ、もう繋がりを一生失ってしまったんだ。すべて自分のせいで。泣きながら、こういうことってあるんだな、なんてぼんやりと思いうかべていた。

 

母の思わぬ行動

Sちゃんに拒絶されていると知った私は、それからしばらく放心状態で過ごしていた。とはいえ、日々の占いの仕事は追いかけてくる。私よりもつらいお客さんが毎日やってきては、外の世界の話を聞かせてくれる。

私は傷ついた人の気持ちがわかる。

だからこそ、誰にも話せない想いを、私を信じて預けてくれる人の力に絶対にならいといけない。仕事を全力でこなしていた。

それに、Sちゃんが私をもういらないと考えているのなら、私はSちゃんの考えを尊重したい。私が東京に居て彼氏しか見ていなかったり、石垣島に引っ越したときに、そっとしておいてくれたみたいに。

何人か占い師の友達ができた。その中の1人に、年齢が近く話が合う占い師さん(以下Mさん)が居た。基本的には占い師同士はライバル同士でもある。ジャンルが大きく違えばいいのだけど、お客さんが被る占い師はお互いのためにあまり仲良くしない方がいいと私は考えていた。

だけど、Mさんはキャリアもある先輩の方で、私が占い師初挑戦ということを理解し、様々な知恵を授けてくれた。私のメール相談占いを購入してくれたり、チャット占いの練習につきあってくれたりした。

交流を重ねていくうちに、わたしは「Sちゃんのこと」を相談したくなった。Sちゃんは今、どう思っているんだろう。私との連絡手段を断つってことは、私のことはもういらないってことだ。それは分かったけれど、この先ずっとこのまま、一生もう交流できないのだろうか。

いや、Sちゃんが決めたことは、私にどうする権利もない。

でも、でも、今Sちゃんがどう考えているんだろう?

それだけは知りたい。

私は、Mさんに有料で「Sちゃんという友達がいるんだけど、突然、唯一くらいの連絡手段を拒否されて混乱している。今、Sちゃんは何を考えているのか知りたい」と伝えて占ってもらった。

変な話、私は自分で占いに行くことはめったにない。今までの人生で対面で占ってもらったのは2回とか3回くらい。その時も、たまたま友達の付き添いで行って、ついでで占ってもらった。とか、待ち合わせで30分くらい時間があまったから、人生についてざっくり占ってもらう。とか、その程度だった。

そのくらい私はあまり悩まない。仮に悩んだとしても、ちょっとした悩みなら自分で自分を占って解決していた。だけど私はそのとき、深く傷ついていた。傷があまりにも大きくて、完全に悩みにハマっていた。自分にはどうすることもできないと思い込むくらいに。

Mさんは言った。「そうですね……Sさんは、本当は昔みたいにイシバシさんと深く仲良く、しっかり繋がっていたかったみたい。でも、イシバシさんがどんどん外の世界に出て行ってしまったから、かなり寂しかったんですね。今は心の扉が閉まっているようです。『もう知らない』って、怒るっていうより、かなりすねてるみたいな強い気持ちが感じられます。Sさんはかなり頑固な方じゃないですか?」

私は「はい、Sちゃんは自分の気持ちをちゃんと分かっていて、信念も強いんですよね。そっか、Sちゃんはやっぱり、今の私とは連絡を取ったりする気持ちはないんですね。……この先、Sちゃんと仲直りできるような時はありますか?」希望にすがりたい一心で質問した。

Mさんは、また少し占いをしてから「この先も、もうあんまりSさん側からは動くという感じはありません。」と、少し申し訳なさそうに言った。

私は一生連絡を取り合うような仲に戻れないことを頭では理解していたものの、第三者から状況を伝えられたことにより、絶望的な気持ちになっていた。落ち込んだ私をMさんは励ましてくれたけれど、正直占いの結果をきいた後のことは覚えていない。

こうやって人は人を失うんだな。

完全に自分のせい以外の何物でもないから、私はすべてを受け入れて生きていこうと覚悟を決めた。Sちゃんのお母さんに会って「Sちゃんに連絡してみたら?」と言ってきた母にも、電話をして着信拒否のような状態だったこと、このままSちゃんのことはそっとしておこうと思っていることを伝えた。

Sちゃんと私が小学生の頃からお互いの家を行き来して遊んでいたことを知っている母はとても心を痛めたらしい。でも我々もいい大人だし、今さら母には何もできない。Mさんの占い結果を私は母に告げられず「いや、でも、Sちゃんがいいなら私は別に無理やり連絡とることはしないでいいって思ってる」と伝えた。

が。

しかし。

今さら母には何もできない。

と思っていたが。

母がSちゃん家に突撃したのである。

 

Sちゃんの真意~Sちゃん家で起きていたこと~

Sちゃんが私の母から聞いた内容は相当にびっくりしたことであろう。

なぜなら、Sちゃんは私を拒絶したのではなく、単純に家の電話機を新しいものに変えて、設定をミスり、私からの電話を一切受け取れなくなっていた、だけだったから。

……そうだった。Sちゃんは、いろんな機械を扱うこと自体が苦手だった。

そしてセキュリティ意識も高いので、以前の電話機でもSちゃんはナンバーディスプレイで私の電話番号(と紐づいた名前?)を確認してから受話器を取っていたらしい。

今回は逆に、そのナンバーディスプレイで私の名前を登録して、許可リストではなく拒否リストに入れてしまっていたらしい。

Sちゃんはもちろん今でも私とは前みたいに話したいし、私が色々一方的に傷ついていることを知り、その後母経由で私に手紙をくれた。

そこには、電話機の設定をうまくできず、傷つけてしまってごめんね。もっと自分から行動すればよかった。わかってなくてごめん。という内容が書かれていた。

私は、占い怖ーーーーーーー! となりそうになったが気が付いた。占いに意思があるわけではない。占いを信じてしまう人間が怖いのだと。

併せて今回はMさんの占いが外れていたのかもしれない。占いは外れることもある。それは私も占いをしていて理解をしている。100%的中するものは占いではないのだ。または、一部当たっていたかもしれない。でも、どちらにせよ、Mさんの占いを信じて私からSちゃんに何も伝えず、さらに私の母が暴走せず一生このままだったら……?

その時から私は、この思い込み+妄想+すれ違い状態を月9状態という名前で呼ぶようになった。

月9をディスっているわけではなく、月9は月9でピンからキリまで物語を発生させ、毎週視聴者をやきもきさせ、もどかしさや情緒でロマンを作り、見る人の何かを満たしているのだ。人間は生きていく上で物語が必要だから、月9=悪ではない。

しかし、だ。

今回は母が暴走したからよかったものの、こうやって真実や事実が明かされないまま、「だって……あの人は……そういう人だから……(涙一粒)」みたいに全方位に思ってまだ繋げられる関係を自らフェードアウトして生きていくのか私はオイ???

それは必要のない月9では???

私は自分に怒る前に決意をした。

相手には聞こう。そして、自分も気持ちを正直に言おう。以上。

ワンチャン「相手が正直に気持ちを伝えてくれない」ということもある。しかしそれはまず聞いてからの問題だ。

怖くても、私は聞くし、聞かれたら答える。「怖い方を選ぶ」はこのところの私の人生を進めるテーマでもあるから。

それに、私は最近も自分の思い込みの強さに戦慄したところだ。思い込み・妄想・すれ違いそれぞれ単体ではそこまで怖いことではない。しかし、これらが合わさると大事故が起きるのである。

月9の世界観、ある種の恋愛至上主義とでも言おうか。月9が楽しい、正義と考えている人は別にそれでいい。加えて、私がSちゃんに家に行ったり、手紙を送れなかったのには理由がある。

嫌われたくない。

いや、嫌われたくないって気持ちはめためたに大事だけど、それで友達関係終了させちゃうのって、非生産的って言葉で伝えられないほどの最悪さをはらんでいる。

追加だ。

嫌われることを恐れず、相手には聞こう。そして、自分も気持ちを正直に言おう。以上。

高い勉強代(代金はドキドキした時間か)になったわけだが、Mさんに占ってもらった後すぐに私は精神を病み占い師を辞めMさんとも疎遠になる。Mさんが悪いわけではない(実際Mさんは大人気占い師なわけで)。弱り切った心でわらをつかむように占いをして結果を妄信するなんてことはしてはいけないのだ。

これは占いに関わらずだけどさ。

  

Sちゃんとのその後

なぜ私がこの話を書こうと思ったかというと、先日、Sちゃんから手紙が届いたから。

実は、私はSちゃんが私の実家経由で手紙をくれたときも、すぐに返事を書けないでいた。自分が嫌われたと思い込んで占いに頼った挙句、自ら縁を切りそうになっていたことに負い目を感じていたから。手紙に何を書いていいのか、長い間わからなかったのです。

でも、この前、やっと私が自分のこのところのあれやこれやを手紙に書いて送ることができて、そのお返事が届いたというわけ。お返事は「次は会ってお話しようね」という内容だった。と、自慢をするためだけにこの長い文章は存在している。

だって私がどんなにSちゃんを好きかわからないと自慢にならないでしょう?

 

自ら選んで疎遠になるのも、月9を楽しんで疎遠になるのもいい。

実際、私は周りの人からこの「すぐ言う」「すぐ聞く」というのはあまりにもドライだという苦情も聞かれる。趣旨を理解してもらえず、喧嘩をふっかけているのかと取られ、どういうこと?! と驚かれることもある。

けれど私は大事な人を失わないように嫌われることを恐れず、相手には聞こう。そして、自分も気持ちを正直に言おう。をする。

こんなん怖いよね。すごい分かる。

でも何よりも、自分に嫌われないで済んだって感じているんだよね、私は。

だって、占いを信じ切って何十年も勘違いしたまま死の淵に判明していたら? 私は私を嫌いどころか許せなかっただろう。

いつもはディス満載だけど今回ばかりは暴走母にもとびきりの感謝を。

2023年の夏にはSちゃんに会える予定だ。



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