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スーア先生の恋

前書き

 スーア先生から恋バナを聞く約束をして10日以上が過ぎた。私が多忙であったこともあり、次に会った時に、と約束していた割に、なかなかどうして顔を合わせることも出来ず今に至る。こうも間延びしてしまっては、今更おめおめと話を聞きに行くのも具合が悪いというものだ。なに、会わぬ日が続いたからといって気まずくなるような関係でもないのだが、何分普段は下らぬことを言ってはケラケラと笑いあう、勢い任せの会話ばかりなのだ。踏み込んだ話を聞き出そうというには相応の緊張感とでも言おうか。相手の常とは異なる側面をのぞき込む、ドギマギとした感覚があって然るべきであり、私はそういう心情を含めた会話の流れを重要と考えている。そういった心づもりは熱して叩いた鉄のように、最も熱い時を逃してしまっては時間とともに冷めてしまって、打てども伸びず、響かないものなのだ。

 さて、こうなってしまっては仕方がない。やり切れぬすれ違いを水に流すためにスーア先生の恋話をここいらで一つ創作してみようと思う。最近は文章を書いておらず、ちょうど何か書きたいと思っていたところだ。都合のいい題材が転がり込んできて、これも良き巡り合わせのように感じている。これはコンビニで買った新作のカップ麺が思いのほか美味しかった時の感情に似ている。スーアに198円相当の感謝を捧げつつ、以下にスーア先生の恋を記す。

色めく花は突然に

 2月のある夜。投げかけられた何気ない言葉が頭の中で反響し寝付けずにいたスーア(仮)は、いよいよ暗澹たる思考に区切りをつけるために部屋の明かりをつけた。カチッ、カチッと普段は気にもならないのに嫌に存在を主張する時計の針は午前3時を指しており、スーアは諦念にも似た感情がじんわりと胸の内に広がるのを感じた。こういう時は自然と落ち着くのを待つのがよい。暖かな紅茶でも入れて一息つくことにしよう。そういえば、貰い物でまだ開けていない茶葉があったはずだ。スーアはもぞもぞとマイメロディー(株式会社サンリオのキャラクター)がイラストされた愛用のベビーベットを這い出て台所に向かった。

 食器棚には色とりどりの哺乳瓶が並べられている。咥えていたおしゃぶりを外し、涎掛けで丁寧に口元をぬぐいながら先日赤ちゃん本舗で購入したばかりの口紅を思わせる赤い哺乳瓶を手に取り、スーアはふと、大阪で出会ったママのことを考えた。

 スーアは週末になると決まって大阪を散歩する。大阪には赤ちゃん本舗の本店があるからだ(全国の赤ちゃん本舗にてVRChatのtrusted userを多く観察することが出来ることは有名である)。スーアは己の本来の姿が3歳程度の女児であることを自覚している。しかしこの世界に顕在するために、必要に迫られて成人男性の姿をしているのだ。そのためスーアは私生活では女児的な要素を身に纏っており、女児的なふるまいを行う。スーアは休日、普段の男性的姿を捨て、本来の自分に即することで正気を保っているのだ。この日もスーアは赤ちゃん本舗でフリルのついたミニスカートとシナモロール(株式会社サンリオのキャラクター)がイラストされたTシャツ姿で親と離れ離れになり不安そうにさ迷う女児を演じて生の実感を得ていた。

「どうしたんだい、坊や」

 赤ちゃん本舗大阪本店哺乳瓶売り場前でスーアが座り込み泣いていると、見知らぬ男性が声をかけて来た。

「ふえぇ、坊やじゃないよ。女の子だもん。」

 スーアは自身の女児的黄金経験を邪魔されたことに内心煮えたぎる怒りを抑え込みながら、舌足らずの返事で野太い声の方を見た。男は薄く透ける深紅のワンピースを身に纏った長身であった。ただでさえ身長190cmはあろうという恵体に加え10cm以上のハイヒールを履いたその男は、座り込んだスーアが見上げるにはあまりに大きかった。スーアは男の永久脱毛によりツルツルとなった筋肉質な健脚を目のやり場とした。

「いやだわ、あなた、女の子だったのね。私はね、紫音♪(仮)っていうの野良のママをやっているの。あなた、授乳に興味はある?」

 紫音♪ は器用に脚をくねらせしゃがみ込むと、スーアの顎に野太い指を添え、グイと上を向かせた。スーアはその時、胸がドクンと脈打ち、知らず赤面して顔が熱くなっていくのを感じた。

「にゃー!」

 紫音♪ の影になって見えていなかった、もう一人の小太りの男が猫の鳴き真似とともに顔を出した。猫男はワンピース男の背にメガネがズレるのも気にせず頬を擦り付けると、スーアをキッとにらみつけた。

「あら、ごめんなさい。この猫ちゃんは るーちゃん(仮) っていうの。ほら、挨拶しなさい。」

 るーちゃん は 紫音♪ の脱毛によりツルツルとなった丸太のような腕で促されると、しずしずと前に出て困ったような顔で

「にゃー」

 といった。スーアはこの時、この身体的な距離間は近いのに決して目を合わせない るーちゃん を見て直観的に理解した。あぁ、この 紫音♪ という男の前では内なる自分を曝け出して良いのだ。私が赤ちゃんであればこの人はママになってくれる。 るーちゃん のように内なる姿が猫であれば、飼い主となってくれるのだ。なんという抱擁力なのだろう。なんと器の広く、慈悲深い人なのだろう。世界がそれで完結しており、客観性のない理想的な共依存関係にスーアは胸の高鳴りを抑えることが出来なかった。

「私に会いたくなったら、いつでも連絡頂戴。IDは******だからっ♡」

 そう言って 紫音♪ はるーちゃんを連れて去っていった。スーアは握りしめたガラガラの存在も忘れ、ただただ二人の姿を見送っていた。

「ふえぇ......」

 処理できない初めての感情は意味のない言葉となって溢れ、空に漂い、消えた。

to be continued......