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時間の概念

カメラはタイムマシンみたいなものだ。

しかしドラえもんの道具のような理想的なものではなく、きわめて限定的な性能しか持ってはいない。ともあれ、前もって写真を撮っておけば、いつでも「そのとき」に戻ることができる。そういう意味では、時間を操るツールだといえるだろう。

科学的で哲学的な話をすると、自然界の現象を考える際に時間の概念は重要である。生命という現象もまたしかり。生命は絶えず時間変化している。生まれ、成長し、繁殖し、やがて死ぬ。この時間の流れのなかでどのように暮らしているかを調べるのが生態学であるともいえる。

生態学で問題となるのは、経過に必要な時間の長さである。おなじ生物学でも医学部や薬学部で扱う典型的な研究対象は、長くても数時間から数日間でひととおりの実験が可能なものが多い。これと比べると、生態学で扱う事象には、時間がすごくかかるものが多い。僕が研究対象としてきた森林生態系は、何十年もかけて徐々に変化していく。

荒れ地に最初に生える樹木はパイオニア種(初期遷移種)と呼ばれ、日光をたっぷり浴び、水や養分をどんどん使ってどんどん成長するものが多い。しかしパイオニア種の寿命は短く、やがて後期遷移種に置き換えられていく。後期遷移種は日陰でも命をつなぎつつゆっくり成長し、自分の頭上に存在するパイオニア種がなにかのタイミングで枯れたらその場所を支配してやろうと虎視眈々と狙っているのである。

このように森林の樹木の変化には数十年から百年・二百年という長い長い時間がかかるのであるが、地面のなかの生態系の変化はさらに時間がかかる。

大学院時代に研究していたカナダ北部の森の地面には、泥炭とよばれる有機物が大量に蓄積されていた。泥炭はもともと、樹木やコケ植物のからだだったものがゆっくり変質しながら形成されていくものである。これらが蓄積するのにかかる時間は、平気で千年・二千年というタイムスケールを要している。

氷河期のころ、このへんは分厚い氷床で覆われていた。約1万年前に氷河期が終わっても氷床が解けるまでかなりの時間がかかったから、氷が解けてからまだ数千年。それからじわじわと泥炭が堆積しているわけだ。

生態学者はよく写真を撮る人が多いように思う。野外の観察対象は、実験室のそれと異なりずっと手元でながめているわけにいかないから、記録のために写真は便利だ。それだけでなく、同じ場所を毎月撮影するという定点観測をすれば、過去との比較によって時間変化を知ることができる。このように、写真は生態学者にとってタイムマシンの機能を果たしている。

写真が普及しはじめて150年余り。写真が実用化された当時は、写真撮影をするのはとてもめんどくさく、時間と費用もかかり、写真の専門家が必要だった。それでも当時の自然の様子が記録された写真はいくらか残っている。その写真が撮影された場所と年月日を特定し、同じ場所で写真を撮って自然の変化を比較する。これだけでもたいへん興味深い研究になる。

定点観測のための専用のカメラもある。1時間ごと・2時間ごと・1日ごとなど、決まった時間ごとに自動的にシャッターを切ってくれるすぐれものだ。樹木にくくりつけるなどしてこれを野外にしっかりと設置すれば、その場所の朝昼夕の変化とか、季節をまたいで起きる変化とか、いろんな変化を記録することができる。ただ肉眼で変化を感じるだけでなく、画像をコンピュータで解析することで、自然界の変化を数字に変換することも可能だ。僕はこのように、意識して時間の流れを扱う研究を重視するようにしている。

僕は写真が好きだ。研究の道具としての愛着もあるけど、センチメンタルで芸術的な意味でも好きだ。写真撮影は自分の分身をつくる行為だと思う。写真はただの無作為な記録ではなく、撮影者の意図を色濃く反映しているからだ。だから僕は、自分の写真を人に見せるのに気後れすることがある。

人前でカラオケを歌ったり絵を描いてみせたりするのは、ある程度の自信がなければ恥ずかしかったりする。僕は写真を見せることにも同様の恥ずかしさを感じる。撮影時、僕が何を発見し、何を考えたか。それをなぜ後世に残し、未来の自分または他人に見せる価値のあるものと思ったか。これらの思想が凝縮されたものが写真である。さらに、構図や露出やピントなど、写真撮影の技術力も丸わかりである。思想と技術が丸バレになるから、写真を人に見せるのは恥ずかしいのである。

お金をかけていいカメラを買ったら写真がうまくなると信じていた時期もあった。しかしそれは幻想で、結局は自分の「ものの見方」がさらけ出されるから、自分を磨く以外に写真がうまくなる方法はなかったのである。

この本には僕の恥ずかしい写真をいくらか盛り込んでいきたいと思っている。僕の文章も恥ずかしい作品だから、写真と文章のはずかしいマッチングをさらけ出すので、適当に楽しんでいただきたい。

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