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アメリカの国立公園

いまを去ること20年前、僕はアメリカのロッキー山脈のど真ん中の街に住み、大学に通っていた。人口2万人の小さな町の小さな短大。勉強以外にやることがない環境が幸いし、人生のなかでもいちばんといっていいほど貪欲に知識を吸収していた時代だった。

たまの息抜きは、アメリカの自然に触れることだった。住んでいた町自体が大自然のただなかにあり、散歩していると何匹ものプレーリードッグと出くわすような場所だったのだが、車で少し遠出して、国立公園に行くのが大好きだった。

大学のまわりには、車で数時間圏内に数多くの国立公園があった(アメリカの規模感では、車で5時間くらいは「わりと近く」と感じるレベルだ)。イエローストン、グランドティートン、ロッキーマウンテン、ザイオンなど名だたる国立公園があるのだが、個人的に「聖地」と思ってるのはアーチズ国立公園だ。

ユタ州はスキーリゾートとして名高いがそれは州の北部のはなし。南部はわりと砂漠っぽい気候で、雨が少なく植物はまばら。だから巨岩・奇岩のたぐいがそのまま露出しており、日本ではなかなかお目にかかれないような地形がそこここに転がっている。

いや、日本だって地面は元をただせば岩石でできているのだが、その上に植物が豊かに生い茂り土壌が分厚く堆積しているので、岩石を目にすることができるのは崖のような地形に限られるのである。

余談だが、ゴビ砂漠など植生に乏しい場所で恐竜の化石が発掘されることが多いのは岩が露出しているため見当をつけやすい・掘りやすいという理由も大きい。もしも気候変動で日本が砂漠になってしまえば、わが国でも恐竜の化石が大量に発見されるかもしれないのである。僕は個人的には日本は森の国のほうがいいけれど。

さて、アーチズ国立公園には、その名のとおり岩のアーチがたくさん存在している。アーチができるということは、岩の壁に穴が開いて、向こう側に貫通しているということだ。岩に穴が開くという現象はおもしろい。

アーチズ国立公園

日本でも、海辺の磯などで強い波や風雨にけずられて穴が開いた岩が観光名所になってたりするが、アーチズ国立公園は、狭い地域にそれがかたまっているのがすごい。しかもひとつひとつのアーチの造形がものすごく、「自然現象でこんなのあり得んやろ」と思うようなものがごろごろ転がっていて、日本の国土で培われた常識をくつがえされるのである。

数あるアーチのなかでも白眉は、デリケートアーチである。台地上にそびえる巨岩の上に、芸術家がわざとつくったかのようなアーチが存在する。その前面は天然の岩の広場、その背後は切り立った崖である。この完ぺきなロケーションでデリケートアーチを観ることができただけで、アメリカに留学してよかったなとこころの底から思ったものである。

デリケートアーチへのアクセスは、駐車場からそれなりの距離のハイキングになる。この場所は夕方の景色が特に良いので、日が傾きはじめる頃に歩きはじめる。乾いた風に吹かれながら、セージブラッシュといわれる灌木がまばらに生えるトレイルを進む。

すれ違う人々はみな笑顔で、軽くあいさつを交わす。アメリカ人にとっては国内旅行のはずなのだが、こんな秘境に来れたという体験でみなテンションが上がっているのだ。1時間ほど歩くと、デリケートアーチに出会える。このくらい体を動かすのは、最高の出会いのためのウォーミングアップといっていいだろう。

アーチズ国立公園には多数のアーチがあり、それぞれ短ければ5分、典型的なものは2,30分のハイキングで現場に到着できる。近くの町で泊まって一泊二日くらいで訪れるのがベストな楽しみ方ではないかと思う。なんか旅行ガイドみたいになってきたが、大学生のころのこの体験が、自然について勉強しよう、自然を守ろうという単純だけど強い動機になったことは事実であり、それは今も僕をつき動かしているはずなのだ。

アーチズ国立公園02

大学教員は、研究者とはいえ毎日雑用に追われ事務員に平身低頭するような情けない職業なんだけど、それでも続けるのは自然が好きだから。こころが折れそうになるとき思い出せる強い思い出を、どれだけ持ってるかが大事なような気がしている。

ちなみに、当時貧乏学生だった僕の旅は過酷だった。15年落ちで買ったホンダシビックに、量販店で三千円くらいで売られている小さなテントを積み込んでの旅だった。アーチズ国立公園にはキャンプ場もあり、とても安価で泊まれるのだが、夜になると雰囲気が一変する。

簡素な料理をつくっているとコヨーテたちにまわりを取り囲まれるという冷や汗体験ができるのだ。コヨーテは臆病な動物で実際に人を襲ったりはしないんだけど、怖いものは怖い。

ほとんどのアメリカ人たちはキャンピングカーに泊まっているので安心だろうけど、壁が薄い布一枚でできたテントのなかで、僕はふるえながら眠りにつくのであった。

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