かなしいと百回唱える

天気予報を見ないので、傘を711円で買った。

漫画やアニメじゃ、陰口悪口嫌がらせみたいなわかりやすい悪意に、わかりやすく勇気を振り絞って立ち向かえば、悪者のキャラクターがハ!とした表情をしてなんやかんや事態が全て好転するけれど、現実でそういう同級生や上司、親戚、知らんネットの人間、そういうのに声を荒げても絶対になんともならない。ならないよ。キモいヤツと嘲られておしまい。理不尽だ。理不尽だけど、そりゃそうだよ。別に世の中は俺たちの納得が行くかどうかを基準に作られてないし。

俺たちにできることは唇を血が出るまで噛んで我慢すること。それか、また別の被害者を探してそいつに八つ当たりすること。プロレスラーの女の子をみんなで殺したときみたいに。


よくわからないことをかきます。

会ったこともないのに「俺イセノのこと知ってるけど昔はこうじゃなかったんだよなあ。インストやってる方がいいのにな。ツイートが面白くてフォローしたのに最近湿っぽくてダルいよな。QRでいい?あ、カカオの方がいい?」と口説かれていますというタレコミを最近聞いた。風俗の客でイセノを名乗る人がいたと聞いた。会ったことない女がイセノのセックスは淡泊でつまんないけど喘ぎ声が可愛いと言っていたそうな。えーなんで知ってるの?

俺は自分のこと人に初対面でどうこう話さない。単純に、嫌な思いする確率の方が高いし、なんというか、好意を素直に受け取れなくなるから。言い方がいやらしい言い方しかないな。イセノの何かを目当てに寄ってくる人がいなくもないから、そういうことが何度かあったから。

悪意のない友人関係から始まって、本当に立ち直れないぐらい都合よく踏み捨てられる結果にお互い不本意でなってしまったことがあってもう俺は本当に人の好意が怖い。人間の好意が牛乳だとしたら悪意は生クリームみたいなもんで、純粋な悪意にはわかりやすく気が付けるけど、好意に混ぜ込まれるとわからなくなる。溶かした本人にすらきっと。だから人のやさしさのミルクがもう怖くなってしまった。シェークスピアを引用するとアカデミックになりますね。冗談じゃないよ。本当に怖い。そう思っていつも黙っていたら、俺がインターネット言っていた内容そのままを自分の考えみたいな感じでアツく語られたことがありました。どんな顔してたんだろうあの時俺は。

俺が一番不幸を願っている人は、俺が一番大事にしていた人たちのお金で生活しているし、俺に「あいつは変わったよダサいよ」と言う誰かは二年前に俺が捨てたゴミを漁って俺の口に毎日押し付けてくる。なんか何年か前によく更新されていたブログの単純劣化版みたいな文章ではてなブログ書いてたりする。例え下手のただ乱暴。浅慮の二文字が一番似合う。ブログのタイトルにしたらいいのにね。猫も杓子も受け売りのバンドの噂話をしている。死体に涌いた蛆のようだし、自分が蛆の苗床になっていることに気が付いて自殺したのにね。俺が二番目に忌んでいるのは俺が造った化け物だ。エイリアン2でフェイスハガーに寄生されて自殺を選んだあいつにすごく同情できるようになった。死ぬなら爆死がいいね。かっこいいし、楽そう。

最近俺の友達が俺と似たような感じで人に裏切られていた。インディーズバンドって本当に嫌だ俺もう。机の上で握手して、下で足踏みあっている。俺は誰々と知り合いだ。私は誰々とセックスした。誰々のこんなこと知っている。あいつはフェイクだ、俺はこういう信念のもとにやってるから間違っていない。ずっと下北沢の安居酒屋で、ライブハウスの駐車場横でそんなこと言っている。音楽よりもうるさい。友達は鬱病になって残った人間は犯人捜し、そいつが病気になってまで大切にしてたバンドはどっかから突然涌いて出てきた音楽関係の人が契約するとかみたいです。


誰になんと言われようと幸せでいたいなと意気込んでみたものの、人に何か言われると悲しい。つらい。なんというか、苦しい。悲しい。

なにもかもかなぐり捨てて恥も外聞もなく済ませたい目的と生活と周囲のためにがんばるぞと決めたつもりだけど全然心は捨てられておらず、毎日ガンガンに傷ついている。慣れ切っていたつもりだったけど全然だめですね。誰かが最近ツイッターで誰かにこう怒っていた。

「お前みたいな才能のないボンクラは、早めにプライドを捨てないと、斜に構えたまま人生が終わる」

すごくわかると思った。流行っているバンドが僕は音楽を辞めたとか言っていたけど、涙が出る。曲はあんまり好きじゃないけど、もうこれは作ったその人にとって音楽と呼べるような代物ですらないと、歌ってる。その人じゃない女性の声で歌われている。検索すると歌い手の方が上に出てくる。小さい地獄だ。人それぞれの地獄だ。映画より悲しい。

人のやさしさを疑ってかかるようになんかなりたくなかった。本当に殺したいぐらい人を憎んだりしたくなかった。自分をもっとだまして矛盾とか不都合を無視していたかった。戦いもせず石を遠くから投げているだけの方が楽だった。そういう自分でも良いとかなんか無理やりな理屈つけて生き伸ばしていたかった。あの頃はよかったなんて言いたくはなかった。

なんでも捨てるのに、捨ててるのに、プライドなんか爪先ほどもなくていいのに、4人死んでくれるなら化け物でも笑い者でもなんにでもなるのに。本当に俺の目を見て、声を聴いてくれる人たちに返せるものがあるなら、今度こそそういう人たちを大切にしたいのに、大切にされてみたいからできる限りするつもりなのに、うまくできない。心が戻らないぐらい変形して変色してるのにそこまでやっても俺はうまくやれない。俺は俺のために病気になってでも俺を幸せにしたいし、俺はずっと俺に褒めてもらいたいのに、うまくやれない。

悪霊のようだ、成仏したい。幸せに笑って死にたい。全部清算できたらいいのになあ。夏休みの宿題全部終わったみたいな顔して、母の寝室の隣のドアを開けて、小遣いで買った安いストラトをベッドから退かして、冷房の匂いを嗅いで、なんの心配もないって眠るみたいに死にたい。かなしいと唱えてばかりだ。神様でもウソでも恨みでもなんにでもいいからすがっていたい。

どこだここは。

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