キラキラ光って。

以下は、昔まだ文字書いたりで何とか飯を食えていた時に何とかかんとかとか言う文学賞に応募しないかと誘われ書いたまま送らなかったやつです。


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二、三回の気まずい性行為で手に入れたfenderのストラトが、一番の荷物だった。

何度かあった家出だけれど、今度ばかりは二度とこの川辺を歩いて帰りたくない。中学の時この辺で暴漢に襲われたとかで、顔も知らない先輩の岸本さんが不登校になったな。犯人は知的にどうとかで不起訴になったっけな。あ、コンタクト持ってくるの忘れた、まだたくさんあったのに。とか、昼間の無人駅で新宿に向かう切符を買いながら、そんなことを考えていた。

父に性的暴行を働かれているとか、薬物依存の母に財布の中身を抜かれるとか、言ったら悪いけどそういう絵になるような不幸せがあれば格好もつくだろうし、同情もしてもらえるかもしれないけれど、幸か不幸かそんな大きな話は私の人生には出てこない。なので、この話にもだ。

母は娘の私から見ても歳の割には綺麗で、ちびまる子ちゃんとかあたしンちに出てくるような一般的な像の母親ではなかった。母の地爪を見たことがない。人生で一番怒られたのは美容液を勝手に使ったこと。あの人が私の母親だったことなんて、一瞬でもあるのか。

産んでくれたわけだし、殊勝にコンビニのお弁当を十八年も食べさせてくれたわけだけど、でも彼女の人生はまだ母親としてではなく、ひとりの女性として続いてるようだ。だから私と妹の苗字は三回変わった。

揺られる電車の中で、通知を切っている携帯から新着メッセージを開くと「いつ東京つくの」と、表示されていた。15時過ぎかなと返事をした。

結局いまこうして荷物を抱えていかにも家出少女といったダサい格好しているのは、母の再婚相手がなんとなく苦手だからだ。

殴ったり身体を触られたりするわけじゃないし、神奈川の端っこと言えど戸建てに住めていたのはあの人のおかげだけれど、知らない人が家にいる気持ち悪さとか、母親の女性としての顔とか、些細なことで言えば勝手に私のものを捨てたりするところとか、逃げ癖のある私には耐えられなかったのだ。あと夜聞こえる声が、気色が悪い。耐えられなかった。上ずった声で母の名前を呼ぶ声が壁から聞こえてくるのが、どうしようもなく気持ち悪かった。聞こえないようにしたイヤホンで聴いていたフジファブリックとか名前の知らない歌い手とか、YouTubeから適当に流れてくる流行りの歌も全部まとめて嫌いになってしまった。

小田急線は新宿で止まった。降りる間際にギターがドア口に引っかかって今度こそ本当に捨てようかと思った。FどころかCとかAmの指の形もおぼえてないのにこんなに重い思いをしているのが馬鹿馬鹿しいし、弾けないギターにfenderなんて書いてあるといかにも馬鹿女って感じで嫌になる。自分が、嫌になる。SHISHAMOにもチャットモンチーにも、スーパーカーにもなれない。おっさんのちんこは触れてもギターを練習するような根性はなかったのだ。逃げてばかりだ。自分が嫌になる。

新宿の東南口を降りてドンキホーテの前で立っていると、いかにもな服装の男に「木村ちゃん?」と声をかけられた。男の人の服には詳しくないけれど、男がつけるデカいヴィヴィアンのネックレスはいかにもだし、ダサいなと思った。もう去年末から木村ではなかったけれど「はい」と返事をした。人が聞いたらきっと、媚びた声だったんだろう。

連れられるがまま入った喫茶店で「形だけになるけど」という前置きで面接が始まった。

初対面が苦手なわけじゃないけれど、こういう「女慣れしてますよ」「気が利きますよ」というようなトーンで話す人は苦手だと思った。どこから来たのなんて世間話から入って適度なイジりとか褒め文句なんかで話を進められて、手の上で転がされているようで嫌だった。嫌だと思いながら媚びた声で笑ってる私も私で最低で、そっちが本当に嫌だった。せめてもの小さい抵抗で、コーヒーフロートには最後まで手を付けなかった。氷が溶けて上の方だけブラウンが薄くなっていた。何をしゃべったのかはよく憶えてないのにそういうことだけは記憶になぜか残っている。

「うちは広くやってるんだけど、今コンカフェの方は人手が一杯で」

そう言いながらナントカさんは私のバッグを見ていた。そして、私の頭が話に追いつく間もなくつらつらと続けた。歌舞伎町ならもっといろんな仕事がある。どうしてもコンカフェがいいなら店長にかけあってみるけど、稼ぎたいなら別の仕事もある。寮がある店もあるし、会社の物件だから審査もいらない。19歳になった今ならわかるけど、18歳の私には何の話なのか、何がいいたいのか、わからなかった。わからなかったし、家には帰りたくなかった。口にはそれを出さなかったけれど、椅子の横に置いた大荷物があからさまにそう言っていた。

苦し紛れに言った「ちょっと考えさせてください」なんて言葉は、ほとんどイエスみたいな返事だと言った後に思った。家がないなら今日は事務所泊って良いよという誘いだけは断ったけれど、それは私に強い意志があるからだとかではなくって、15時に下心をもってやってくる男に寝る場所を期待していたからだ。

時間まであてもなくて、フラフラとカラオケに入った。DAMチャンネル、と明るい声で女の人が言って、そのあとに知らない女の子がギターを弾いて歌っていた。売れそうにないなと思ったし、私よりもかわいくないのに堂々としててすごいな、と心の中ですら皮肉を言った。

工場で検品されるみたいに、サバンナで弱い子シマウマから倒れていくみたいに、戦争映画で主人公以外がバタバタ死んでいくみたいに、毎年、毎日、毎秒、0.00何%かの人が美しい人生から脱落していく。白い服でペンキ塗りをするみたいに、少し汚れたり、バケツごとこぼして取り返しがつかないぐらい汚れたりして、美しい人生からレールアウトする。

顔を知らないあの岸本先輩は、あの川沿いの道で。母は、私を産むずっと前に。私は今日ここで、レールアウトした。

新宿の暗いカラオケボックスで、DAMチャンネルはギターを持った女の子を映して、まだキラキラと光っている。

私には関係のない、キラキラした世界が、光っている。

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