【勅使河原先生の縄文検定】 第7問

『縄文時代を知るための110問題』の刊行記念。
著者勅使河原彰さんが本書から厳選した10の「問題」。
https://www.shinsensha.com/books/4447/


第7問 土偶って何?

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答え

土偶の用途は縄文社会の呪術や信仰、祭祀などにかかわる道具であったことは間違いないが、一義的なものではないだろう。考古学界ではいまだ大きな謎の一つ。

土偶の変遷

 土偶の古い用例は、平安時代中期の承平年間(九三一から九三八年)ごろに編纂された『倭名類聚抄』の「祭祀具第百七十二」で、「偶人」を俗に人形といい、「史記云土偶人木偶人」とある。また、一八二四年の山﨑美成の『耽奇漫録』にも「津軽亀ヶ岡にて掘出たる土偶人二軀」として、青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶の図が紹介されている。こうした土偶人について、一八八六年(明治一九)の『人類学会報告』二号で、白井光太郎が「貝塚より出し土偶の考」と報告し、土偶が考古学用語として定着することになる。

 土偶は、土器の出現期である「草創期」にも散発的にみられるが、縄文時代早期から本格的に作られるようになる。その表現は、まだまだ稚拙であるが、乳房のふくらみなどから、当初から女性を表現していたものと考えられている。それが前期から中期へと時期をおって、東日本を中心に立体的な土偶が作られるようになって、乳房だけでなく、妊娠を思わせる下腹部や大きな尻部、妊娠線、女性器などが表現される例が多くなり、土偶が女性を形象化したものであることが明確となる(原田昌幸『土偶』〈『日本の美術』三四五号〉至文堂、一九九五年)。

 長野県茅野市の棚畑遺跡から出土した中期の土偶は、立体感のある頭部と顔の表現、十字形の胴部と「出尻土偶」と形容される後方に大きく張り出した尻、安定した大きな脚部からなるが、その造形美から「縄文のビーナス」と呼ばれて、国宝に指定されている。また、前期末から中期の東北地方北部から北海道南部には、十字形や三角形で板状の作りから「板状土偶」と呼ばれる特異な土偶が分布する。その一方で、山形県最上郡舟形町から出土した中期の土偶は、顔の表現こそないが、プロポーションが美しく、「出尻土偶」の特徴をもつ「縄文の女神」と呼ばれる国宝の土偶も現れる。そして、後期には、たとえば茅野市の中ッ原遺跡から出土した仮面をつけた面相から「仮面の女神」と愛称される中部地方の「仮面土偶」のように、表現や表情が複雑になり、関東地方から東北地方南部に「ハート形土偶」、その後に関東地方から東北地方北部に「山形土偶」、さらに関東地方に「ミミズク土偶」などというように、後期から晩期へと頭部の形や面相から型式分類されている多彩な土偶が作られた。とくに晩期の東北地方で発達した「遮光器土偶」は、眼部表現がイヌイットなど北方民族の雪メガネ(遮光器)に似ていることから名づけられたが、その奇怪な面相とともに、土偶の代名詞とされるほど有名である。

 土偶の用語をはじめて使用した白井の「貝塚より出し土偶の考」で、すでに「(第一)小児の玩弄物に製せしか(二)神像と為し祭りしか(三)装飾と為し帯ひしか」と述べているように、今日まで愛玩具説、祭祀具説(神像、女神像、精霊像など)、護符説、呪具説などが唱えられてきている。大量に出土する小型の土偶は、その大半が身体を欠損していることから、人の病気や傷害などのある部位を土偶の同じ部位を破損することで快復を祈ったとか、あるいは妊娠を思わせる表現が多いことから安産を祈願したなどという呪具説が有力視されているが、三上徹也は、土偶がある特定の遺跡に大量に出土し、それが大量の土器の廃棄をともなうことから、縄文土器の完成を願う形代として作られたという興味ある指摘をしている(『縄文土偶ガイドブック』新泉社、二〇一四年)。

 一方、棚畑遺跡の「縄文のビーナス」や中ッ原遺跡の「仮面の女神」などの大型土偶のように、集落の中央広場に安置されたような状態で、ほとんど無傷のまま出土したものなどは、集団の安寧や繁栄、豊饒などの祭祀に使われ、その祭祀を掌ったシャーマンの死や集落の廃絶にともなって埋納されたとする祭祀具説が想定されている(守矢昌文『国宝土偶「仮面の女神」の復元 中ッ原遺跡』新泉社、二〇一七年)。

 ところで、これまで述べてきた土偶は、頭、胴、手、足など抽象的な表現が目立つので抽象土偶と呼ぶとすると、ごく少数ではあるが具象土偶と呼ぶべき、身体が人間に近くバランスがとれていて、顔の表現なども人間らしく描かれている土偶がある。中期では、東京都八王子市の宮田遺跡から出土した「子を抱く土偶」が有名であるが、後期になると、青森県八戸市の風張1遺跡や福島市の上岡遺跡出土の「蹲踞姿勢の土偶」、北海道函館市の著保内野遺跡出土の「中空大土偶」など類例が多くなる。とくに後期以降の具象土偶は、女性を強調する表現はなく、むしろ男性的であるのを特徴とすることから、抽象土偶とは違った使われ方、たとえば前述した三上は、集団の英雄と思しき特定個人や祖先を崇拝するための像ではないかと想定しているが、それ以上のことは今のところ不明である。

 いずれにしても、土偶の用途は一義的なものではなく、縄文社会の呪術や信仰、祭祀などにかかわる道具であったことは間違いない。

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