【勅使河原先生の縄文検定】 第4問

『縄文時代を知るための110問題』(11月8日出荷開始)の刊行記念。
著者勅使河原彰さんが本書から厳選した10の「問題」。
https://www.shinsensha.com/books/4447/

第4問 竪穴住居に住んでいたのは何人家族か?

      ↓
答え
一組の夫婦とその子どもからなる単婚家族を基本とし、それに祖父母や兄弟姉妹が同居する、いわゆる拡大家族だった、と私は考えている。


 社会生活の基礎単位となるのが家族であるが、縄文時代の住居の家族構成を証明するのは、正直にいってたいへん難しい。それでも、縄文時代に一般的な居住施設である竪穴住居から考察するのが正道であろう。
 縄文時代の竪穴住居は、火災による急激な上屋の倒壊によって、すべての生活用具が日常生活していた状態のまま埋没していた長野県諏訪郡富士見町の藤内遺跡第九号住居跡などの事例によって、生活するのに必要な一揃いの道具がそろっていたようで、少なくとも消費生活では独立した機能をもっていたことは間違いない。
 また、縄文時代の集落には住居が一棟だけというのも決して珍しくないことから、一棟が世帯として独立していたものと考えられる。しかも、竪穴住居の床面積は、平均で早期が約一〇平方メートル、前・中期が約二〇平方メートル、後・晩期でも約三〇平方メートルで、全体平均で約二〇平方メートルであることから、複数の成人の男女が集合するような家族構成をとることは難しく、単婚家族的な小世帯の可能性が高いと思われる。では、時期を追って床面積が拡大していくのはなぜかというと、縄文人の生活が豊かになって身のまわりの物質的材が豊富になっていくとともに、食生活などの改善によって乳幼児の死亡率や老人の生存率が改善され、居住人数が相対的に増加していったことで説明できると思う。
 ところで、前期の東北・北陸地方から北関東地方には、床面積が八〇平方メートル、ときには一〇〇平方メートルをこえるような長方形の特大型住居がある。また、後・晩期になると東日本を中心に、これも床面積が長方形の特大型住居と同様で、かつ円形の特大型住居がみられる。これらの特大型住居などは、とても小世帯とはいえないと疑問を感じる人は多いと思う。しかし、長方形の特大型住居は、複数の炉や間仕切りなどからみて、複数の小世帯が集住するロングハウスと考えられる(武藤康弘「縄文時代前・中期の長方形大型住居の研究」『住の考古学』同成社、一九九七年)。一方の円形の特大型住居については、日常の生活用具が出土しないことや、儀礼や祭祀に使われた道具の出土が目立つことから、通常の住居ではなく、集落の共同祭祀や集会施設ではないかと想定されている。いずれにしても、今後に課題を残すとはいえ、縄文時代の住居の家族構成は、単婚家族的な小世帯を基本としていた蓋然性が高い。
 そこで、人類行動の進化という別の視点から、人類の配偶システムを考えてみよう。動物一般では、一夫多妻の傾向が強いほど、配偶者の獲得をめぐる雄どうしの競争が強いため、雄の身体が雌よりも大きく、角や牙などの性的差も大きくなるという。それに対して、人類は、身体や犬歯の性差が小さいことから、典型的な一夫一妻の霊長類の範疇におさまり、極端な一夫多妻や完全に乱交的な配偶システムは排除されるということである(長谷川寿一・長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、二〇〇〇年)。また、人類の配偶システムを歴史的・民族誌的にみると、極端な形の一夫多妻は、農耕や牧畜が開始されて以降、富の蓄積と分配の不平等が生じるようになってからで、そうした一夫多妻の婚姻制度がある社会でも、それを実現しているのは富を蓄積したごく一部の男性だけで、大多数は一夫一妻だということである。
 このようにみてくると、私は、縄文時代の家族構成というのは、一組の夫婦とその子どもからなる単婚家族を基本とし、それに祖父母や兄弟姉妹が結びつく、いわゆる拡大家族がせいぜいだったと考えている。ただし、誤解を招くといけないので、あえて強調しておくが、たとえ縄文時代の家族構成が単婚家族を基本としていたとしても、家族そのものが共同体の拘束から自立できなかったという点では、近代の単婚家族とは、その社会的役割が根本的に異なる。

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