【勅使河原先生の縄文検定】 最終第10問

『縄文時代を知るための110問題』の刊行記念。
著者勅使河原彰さんが本書から厳選した10の「問題」。
https://www.shinsensha.com/books/4447/


第10問 縄文時代に何を学ぶか?

  ↓

【答え】
自然と共生し、スローライフを選択した縄文時代に学ぶことは多いと思いますが、みなさんは縄文時代から何を学びますか。

 面積が約五四九〇万平方キロ、約四七億の人びとが生活をする世界最大の大陸、ユーラシア大陸の東端に、南北に弧状をなして大小の島々が連なっている。ちょうどユーラシア大陸という名の海岸に打ちよせた太平洋の荒波が、白い水しぶきをあげているかのようにみえる日本列島は、別に花綵列島とも呼ばれる。それは弧状をなす大小の島々が、細紐で花を結んでつくった花飾り、つまり「花綵」に似ていることから名づけられたものである。

 この美しい別称をもつ日本列島に開花した縄文文化の時代は、九〇〇〇年近くもつづくというように、世界史でも類をみないほど安定した社会を築いてきた。しかも、縄文土器や木製容器、装身具、それらを彩った漆工技術などは、原始工芸の極致と呼ばれるほどの高い技術を示し、その内容も先史文化、それも採集経済の段階では類をみないほど豊かな社会であったといわれている。そして、ここが重要なことなのだが、縄文社会の豊かさを指し示す遺物や遺構というのは、特定の個人や集団とは結びつかない、生活の道具であり、共同体の記念物であるという特徴をもっているということである。

 縄文時代は、植物採集・狩猟・漁労活動を主たる生業とする採集経済社会であるが、その採集経済という観点は、あくまでも人類側からみたものである。自然の側からみれば、一方的な搾取にほかならない。それでも縄文時代が九〇〇〇年間という長期にわたって安定した社会、今日的課題となっている言葉でいえば「持続可能な社会」を築けたのには、大きな理由がある。その一つは、縄文時代の生業の特色である多種多様な資源を食料として利用したことで、小林達雄が「縄文姿勢方針―多種多様な食利用」として示したものである(『縄文人の世界』朝日新聞社、一九九六年)。というのも、食料が特定の種類に偏ると、それが天候不順などで被害にあったときに、たちまち自分たちの生存そのものが危うくなる。それを防ぐためには、多種多様な資源を食料として利用する必要がある。しかも、集落で安定した生活を維持するためには、周辺の食料資源を多角的に利用することが不可欠だということである。

 こうした縄文人の食料利用を可能としたのは、何といっても日本列島の多彩で豊かな自然環境の賜物である。生活の本拠となる集落の周辺に多様な環境があって、しかも、一年の季節の変化が春、夏、秋、冬とはっきりとしている日本列島は、潜在的に食料資源に恵まれている。この日本列島の自然環境と縄文人の生業の特色を年間の行動スケジュールとして、誰にでもわかるように図示したのが小林達雄の「縄文カレンダー」である。

 もう一つは、多種多様な資源を食料として利用するということは、自ずと縄文人による自然の搾取というものが、自然の再生産を妨げないように抑えるということにもつながった。というのも、縄文時代にも余剰が生まれるが、縄文人は、余剰となった時間や労働力を、拡大再生産に振りむけないように、自然とできるだけ折り合いをつけ、自然と共生する道を選んだのである。

 そして、縄文人は、余った時間や労働力を、直接生産に結びつかない労働、あるいは共同体での生活を円滑にするための活動へと振りむけていった。縄文土器にみられる実用的な用途から遊離した装飾文様、精巧な櫛や耳飾りなどの装身具、土偶や石棒などの呪術的な遺物、あるいは漆器などの製品が時期をおって豊かになってくることが、そのことを雄弁に物語っている。古くは秋田県鹿角市の大湯遺跡で発見された巨大な配石遺構、近年では青森市の三内丸山遺跡を有名にした巨大な木柱遺構、あるいは北海道の周堤墓などは、共同体の記念物として構築されていたのである。

 縄文社会の豊かさを指し示す遺構や遺物は、実は縄文人が地球の資源が有限であることを経験的に自覚して、その再生産のなかに生活をゆだねる、今でいうスローライフを選択するという、縄文人の生活感覚から生まれた産物なのである。そして、縄文人がスローなライフスタイルを選択したからこそ、弥生時代以降のように、個人や集団が富みを独占するというような、極端な不平等もおこらなかったし、武力による集団間の争いもおこさなかったのである。しかし、その縄文人ですら、時には、自然の再生産をこえるような人口の増加を引き起し、自然から手痛いしっぺ返しをうけていた。

 二〇世紀の人類社会に高度成長をもたらした大量生産・大量消費型の生活様式は、世界的な天然資源の枯渇や地球温暖化に象徴される世界規模の環境破壊をもたらした。そのため、二一世紀の社会のあり方として、スローなライフスタイルを基調に、環境と共生した持続型の社会が求められてきている。二一世紀が「環境の世紀」といわれる所以であるが、そうした今世紀だからこそ、自然と共生し、スローライフを選択した縄文時代に学ぶことは多いのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?