見出し画像

第3話 記憶のない5日間

救急車を呼ぶほどにまで苦しめられたコロナ初日が空け、2日目が始まった。
ここからはひたすら寝るだけの生活であり、起きている時間は食欲もないのでYoutubeを見るか水を飲むかだけであった

タイトルにもある通りここから治るまでの5日間はほとんどエピソードがないため、記憶は体幹にして6時間分ほどしかない。

そのため、ここでは主な病状の変化と、人の温かみを感じた一つのできごとについて書くにとどめたい。

まず、状態は日に日に順調に良くなっていった。
一日にだいたい0.5~1度ほど熱は下がっていき、4日目にはほぼ平熱となった。
のどの痛みも熱とともに収まっていったが、痰とそれに伴う咳は依然出ている。

熱と同じくらい苦しんだ(苦しんでいる)のは、筋肉痛だ。
全身の筋肉に痛みと倦怠感があり、脚の張りのせいで歩きにくさもあった。

特にひどかったのは背中と腰で、痛みで寝られなかったほどだ。
つねに張っており、マッサージやストレッチを繰り返してもめぼしい効果は見られなかった。

この文章を書いているのは発症から6日目だが、依然として倦怠感と筋肉痛は続いている。筋肉痛に関しては、体操や散歩などで体を動かすことで多少は改善した。

しかし、倦怠感はしつこい。
午前中は全く起きれる気配がなく、1時ごろからようやく動き始められる。
これがコロナ特有の後遺症と言うなら、非常に厄介である。このまま数週間もこんな眠気と付き合っていられない。
後遺症なんて残ることなく、是非速やかに健康体に戻っていただきたい。


さて、では心温まる出来事について話そう。

まず、発症から2日目のことであった。
仲の良い女の子から、物資を我が家まで届けてくれるとの申し出があったのだ。人間社会から隔絶されつぇいかつを強いられることになっていた私は、体調の悪さゆえの心細さもあり、厚意に甘えることにした。

彼女は2日後、つまり発症4日目に食料などを持ってきてくれることになった。
その時の私は会いたくて仕方がなかったが、当然映してしまうリスクを考えるとそういうわけにはいかなかった。
物資を入れた袋はマンションの玄関前に置いておいてもらった。

袋の中にはポカリ、カロリーメイト、うどん、ゼリー飲料が入っていた。
おかゆすらのどを通らなかった私にはとてもありがたいラインナップであった。

コロナに罹ってから今まで、一人の人間とも会っていない。
しかし、この出来事のおかげで、孤独の中にあっても私は精神を保つことができた。非常にありがたい。

なお、現在彼女から2日間LINEを無視されているのは、また別の話である。

to be continued…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?