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なぜ推しを推すのか

「推し活」という言葉が浸透して久しい。
若者のお金の使い方として、「投げ銭」やグッズ購入など推しに貢ぐ人は多く、推しに会うためにアルバムを何枚、何十枚と購入する人も珍しくない。

しかし少し考えてみると、家族でも友人にでも自分自身にでもなく、いうなれば赤の他人にお金をかけまくる。
これは非常に奇妙な現象ではないか。

私自身にも推しはいる。
K-POPアイドル「aespa」だ。
ただ、私の場合はLIVEチケット代くらいしかお金を落としていない。なので胸を張って「推し活をしている」とまでは言えないが、なぜ人は推しを推すのかについて少し考えてみた。

夢の委託

私の仮説は「夢の委託」だ。

私は就活を通じて数々の企業から「お祈り」され、「若者には無限の可能性がある」という言葉が夢物語であることを理解した。

小説「四畳半神話大系」の樋口師匠は、人間を規定するのは「不可能性」だと言う。

本当にその通りだ。私は唯一心から志望していた職業のマンガ編集者にはなれなかったし、ましてやプロスポーツ選手、ウルトラマンのような憧れのヒーローにもなれない。
人間は数々の「なれない」によって道が定まり、人生の輪郭が作られていく。

「推し活」をする人には女性の割合が多いように思う。
アイドルオタクと言えば「チー牛」の男性がイメージされるのはもう過去のことで、今やライブ会場にはおしゃれでかわいい女の子があふれている。

異性アイドルを推す人の眼差しには、恋愛や性欲的な要素も少なからず含まれているだろうが、一方で憧れとしての眼差しの面も大きいだろう。

私は男だが、ガールズグループに対して憧れを抱いている。それは彼女たちのビジュアルやそれを維持するための努力、パフォーマンス、アイドルとしての自信を持ったメンタリティに向けられたものだ。

私は彼女たちのような美少女アイドルにはなれない。それは私の不可能性の一つだ。だからこそ以上のような憧れが生じ、推しとして推すことにつながってくる。

「夢の委託」とはそのような意味だ。
つまり、「美少女アイドルとしてステージで輝く」という夢の実現は私では不可能なので、アイドルに代理してもらう。推しを応援し、推しが輝くことによって自らも喜びを得る。

これが当てはまらない人も当然考えられる。
というか当てはまらない人の方が多いだろう。

私は可愛い女の子に転生したいと思うことがある。身体的にも精神的にも男性であり、これからも男性として生きていくことに違和感は全くないものの、同時にそのような欲求も持ち合わせている。そのせいか女装メイクに興味がある。

このような欲求も、女性アイドルに憧れがある理由の1つとして存在する。

女性化願望がない人には私がアイドルを押す動機は理解しえないかもしれない。

しかし、性的あるいは疑似恋愛的な対象としてのアイドルではなく、憧れの対象としてのアイドルのあり方を理解するうえで意味のある視点ではないかと思う。

以上が私が推しを押す理由だ。






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