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【連作短編】|囁聞霧江《ささやききりえ 》は枯野を歩く ~故郷・後編~

「お電話した岩藤です」
 男の声に囁聞霧江の脳は妄想の世界から現実に引き戻される。
 年は五十歳前後、岩藤良夫は痩せた体に髪は薄く不精ひげには白いものが多く見える。
 霧江は彼に話しかけられる少し前から、誰かを探すような動作を察して岩藤らしき男を視界に捉えてから、霧江は妄想に耽っていた。彼女は依頼者の生い立ち、性格、言動などを妄想して会話のパターンをシュミレーションする。そうして、相手が一番望んでいる言葉を囁く。それ以外は相手の話を聴くだけだ。大抵の人間は聴いてもらうだけで満足する。そこに一言、効果的な言葉を投げかけるだけでカウンセリングを受けたと勘違いする。

「あなたがこういった問題を解決してくれると聞きまして……」岩藤は訝しげに目の前に座っている女と名刺を交互に見る。名刺には《聴き屋 囁聞霧江》とだけある。
「聴き屋ってのは商売になるもんですか?カウンセラーみたいな職業ですかね」
「……私に聴いてほしいことがあるのでは?」
「ああ、ええ。それが信じて頂けるかわかりませんが。死んだ母から毎晩電話があるんです。毎晩。帰ってきて皆で飯をくわないかって。私の地元は酷い田舎にありまして、というか〝あった〟が正しいです。そこにあった集落から住民は皆、街に移り住みました。集落が丸ごと廃墟になりまして、その家から母が私に連絡を取ってきたのです。同じような話が知人にもあったようなのです。死んだはずの親兄弟に呼ばれたというのです。私も始めは知人の話を気にも留めませんでした。でも、死んだ人間に答えて故郷に赴いた知人たちが一人残らず行方知れずで、次は私の番がきました。それで」
「それで、怖くなった。故郷に帰りたくなくなった」霧江は無表情のまま口だけを動かす。
「ええ、まあ」
「いつからですか。故郷に帰りたくなくなったのは?」囁聞霧江は囁いた。
 岩藤良夫は記憶を辿り、意識だけ故郷へ帰っていった。
 
 俺は誰もいない部屋に立っている。埃まみれの四角いテーブルの四方を使い古された座布団が囲んでいる。靴脱がずに他の部屋を物色した。夫婦の寝室と思われる部屋には布団が二つ並べられていた。弟の部屋には小さなブラウン管テレビがあり、レトロなゲームが繋がれたままだった。もう一つの子供部屋はよく片付いていた。本棚には神経質なほど整然と本が詰め込まれ、勉強机の上には参考書が積まれていた。まさに最近までここで生活していたかのようだった。そしてその部屋、俺の部屋以外にはそれぞれ人間の遺体が残されていた。俺が殺した家族の遺体が。
故郷を出ると決めた日、家族たちは俺をあざ笑った。お前には無理だ。お前は一生この町で暮らすのがお似合いだと。俺は家を出た。生まれた町から、忌々しい街から逃げた。家族を家に閉じ込めて。
 
 「故郷に帰りたくないのは、いつからですか?」囁聞霧江は茫然としている岩藤に、もう一度囁いた。
岩藤の顔が一層暗くなった。彼は暗い顔で俯いたまま席を立ち、喫茶店を後にした。
 ふらふらと雑踏に消えようとしていた彼の傍らに割烹着を着た年配の女性が佇み、こちらに一礼した。岩藤は彼女に気付いていない。彼女はあてもなく歩く岩藤の手を引いた。まるで幼い息子に世話を焼く母がするように。迷わないように、手を引き家路についたのだろう。故郷へ帰るのだろう。家族が待つ家に。

囁聞霧江は枯野を歩く〜故郷〜・完
次回【学び舎】へつづく……


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