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ねこに未来はない

 僕が猫好きになったのは、中学生の頃に読んだ「ねこに未来はない」という本とそれを貸してくれた猫好きのNちゃんの影響が大きい。

 どういう訳なんだか僕の町内の同年代は男ばかりで、Nちゃんは小中学校を共にした僕の数少ない女子の幼馴染みだった。九州の田舎に生まれ育ったガキだった僕には、Nちゃんの大きな目と遠くを見通すような眼差しが眩しかった。唇の端にある大人びたほくろにドキドキした。高校は違う学校だったけど、たまに電車で一緒になると話をした。何を話したかは今となっては忘却の彼方なのだけど。

 僕らが生まれ育った田舎町では珍しく、高校を卒業するとNちゃんは有名な東京の大学に行き、有名な東京の会社に就職した。そして、20代半ばにして過労死してしまった。当時、僕は九州の大学の大学院に籍を置いていたのだけれど、目黒駅の近くにあった国立研究所に出向していて、その頃半年ほどは東京に住んでいた。僕らは連絡を取ることができれば気軽に会える距離にいた。しかし、結局、僕らの線はクロスすることはなかった。今と違ってスマートフォンもメールもSNSもない時代だった。Nちゃんが亡くなったことを母から聞いたのは、出向を終え九州に戻った後だった。Nちゃんは、僕が一時的に東京に住んでいると知って、僕に会いたがっていたのだと母は言った。あれからもう30年。僕はその後の紆余曲折を経て、今は東京で働いている。あれから過ぎてしまった時間を思うと目が眩みそうだ。もしもあの時、東京で僕らの線が重なることがあったなら、今とは違った現在(いま)があったのかも知れない。

 「ねこに未来はない」という本のタイトルは、「猫の額」という言葉があるように、額の狭い猫の前頭葉は発達しておらず、猫は未来の存在を認識することができない。つまり、猫にとって未来は存在しない。その代わり、今を懸命に生きているという話に由来する。この本は、科学的な内容の本ではないので「猫が未来を認識できない」という説の真偽は定かではない。しかし、前頭葉を発達させて未来の存在を認識しているはずの人間だって、次の瞬間どうなっているかなんてわからないし、実際の所、未来を見通せていないのは猫とあまり変わらないんじゃないかと僕は常々思っている。

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