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海から来ました。(エッセイ)

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エッセイと写真。
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どーなつを食べたら

子どもがかわいい、となかなか思えない。 道行く子どもはかわいい、道行く犬も猫も、ゆっくり海辺を歩くおじいちゃんもおばあちゃんも、かわいい。でも、自分の子どもをかわいいと感じることがない。それが今年に入ってからのわたしの悩みだった。 造形はかわいいと思う。動きも様子も。けれど、2歳になった頃から子どもの存在をかわいいと感じられなくなって、変だなと思ってた。そして先週やっとわかった。子どもといると痛いのだ。子どもと接すれば接するほど自分の人間としての至らなさ、過ち、心の狭

ひとりきりなのよ

2017年の年の瀬。海のそばに生きたい、と口に出した。今まさに暮らす、海のない埼玉に背を向けて、遠い遠い福岡を目指した。 2019年2月。わたしは今、願った以上に海のそばで暮らしている。 夜。最寄りの駅から家に帰るときには、砂浜に並んで歩く道を選ぶ。 海は、でっかいプールみたいで好ましい。たぷたぷに満たされたガラスの水槽に心が癒されるように、海の前のわたしは心やすらかにリズム良く歩くことができる。 反面、夜の海は恐ろしい。たやすく人を呑み込む黒い液体で眼前が満たされる

スカートが飛び跳ねる

スカートが嫌いだった。 小3の頃にキュロットスカートをはいて以来、二十歳になるまで制服以外のスカートを履くことはなかった。 女であることが嫌だった。女であること、女として扱われること、女らしさを求められることが嫌だった。制服のスカートなんて本当に最悪で、着たいものを着るという権利を一気に奪われた悲しみと、こんなことを悲しむ自分への恥ずかしさで自分らしさが散り散りになっていった。 小6の終わりにスカートの採寸に行く日は、ルールに対して負けを認めたようで、惨めだった。その日