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2021年2月6日 美しい人

私の住む街は、平な道路が少ない。
最寄駅を挟んで一つ前の駅から一つ先の駅まで、距離にして2Km程まっすぐな道が続いていて、最寄り駅を降りて自宅へ向かう道の一番初めの横断歩道からそのアップダウン、一つ前の駅から一旦下ってその後登って(ここは下りも上りも勾配が急)、最寄り駅の前あたりから少し緩やかになるけどもう少し上りが続いて一つ先の駅の手前でまた下る、をよく見渡すことができる。


私はその横断歩道で、信号が青になるのを待っていた。向かいの建物、壁を塗り替えるのかな足場が組まれているな、などとぼんやり眺めていたら、道路の向こう側に一つ手前の駅方面から坂を上ってくる1台の自転車が見えた。

自転車に乗っていたのは若い男の人で、ペダルを漕ぐ足さばきが少し窮屈に見えたからおそらく背が高くて、全体的にスリムな印象で、黒のバックパックを背負い、濃いグレーのウインドブレーカーのような薄い上着を羽織り、黒の細いパンツを履いていた。坂道を登るのに必要な酸素を効率よく取り入れるためだろうかマスクはしておらず、濃い色のサングラスをかけ、ちょうど2019年の春頃の春馬くんのような少し長めの髪をセンターで分け、上りが続くまっすぐな道を、立ち漕ぎをする時のように漕ぎ出す足に力を込めてペダルを踏んでいた。


美しい人だった。
道路の反対側まで7〜8mあるだろうけど、その距離を持ってしてもその美しさは際立っていて、こんなに見ては不躾だよなと思いながらも視線を離すことができなかった。
色白の肌に、シャープな顎のライン、サングラスが引っかかっている高くまっすぐな鼻筋。思わず顎にホクロがないか確認してしまったくらい。


その姿を認識してからあからさまに私がずっと見つめていたこと、気付かれていたのかわからない。でも、一番距離が近くなった瞬間、自転車の彼はその美しい顔をこちらに向け口角をふっと上げた。ほんの一瞬のこと、あ、笑ったと思った時にはもう後ろ姿しか確認できなくなっていた。
私、見惚れてしまって口が開いていたかな(そうだとしてもマスクで見えないはずなのだけれど)、持っていた荷物無意識に落としてたかな、それとも笑顔を見せてくれたと思ったことが気のせいだったのかな。


時間にしたらきっと1分にもならない僅かな間の出来事。日常生活でこんなふうに時間が切り取られるような思いをするなんてどのくらいぶりだろうと、信号が青になっても横断歩道を渡ることが出来ずその後ろ姿を見ていた。上り坂なのに割とスイスイと進んで行ってあっという間に次の下りに吸い込まれてその姿が見えなくなった時、いけないいけないと我に返る。


気候は穏やかな土曜日の午後。
でも、新しい映像の公開を受け心は穏やかなだけでなかった今日。顎にホクロのあるあの美しい人が姿を変えて「少し遠くを眺めていればきっといいことあるから、下ばかり見てるんじゃないよー」と知らせに来てくれたのかな。
ダラダラと続く坂道を、電動ではない自転車のペダルを力強く漕ぐ美しい人となって。
なんだか涙が出そうだった。
ありがとう、そして、さようなら。もうきっと会うことはない、美しい人。


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