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2021年3月7日 『あんのリリック』、やさしい余韻

「大切に思うものが同じ」で繋がれるって、遠回りでも辿々しくても、繋がるべくしてそうなったって思える揺るぎなさがある。

WOWOWのドラマWスペシャル「あんのリリックー桜木杏、俳句はじめてみましたー」。この上なく爽やかで(オフィス仕様の氷魚くんの破壊力にボロボロになりながら)、でもそれだけじゃなく、中心に程よい芯の通った心地いいドラマだった。


noteを使うようになってより感じている「言葉」の持つちから、背中を押してくれるものであり、やさしく寄り添ってくれるものであり、情景を切り取り鮮やかなまま保存するものであり、でも誰かのこころを掻っ捌く鋭さも持つ「ちから」の価値を信じ、味わいを噛み締め、扱いを楽しむ人たち。
そこに共通点がなければ繋がることのなかった人たちが、その共通点だけで程よい温度の心地いい繋がりを持てる。個の間を取り持つのが「言葉のちから」だからならではなのかなと思いながら観ていた。
そして、吐き出す訳にはいかないけど自分の中にはしっかり生まれてるギザギザの真っ黒な棘がびっしり生えた思いや、小さくても歯に当たるとガリリと大きな違和感を感じる卵焼きに入ってしまった卵の殻のようなそれを飲み込み包んでくれるのも、やっぱり言葉なんだと改めて実感する。


町内会の掲示板に貼った俳句は、オンの場でスランプに苦しむ昴の、背負ったものや評価を忘れ素の心で感じたものを素の言葉で綴った彼そのもの。本人は「しょうもない句」と言っていたけど、それはきっと抜け出す術の見つからない自分の状況を、抜け出す術を見つけられない自分自身のことを、苦しさと悔しさと投げやりと諦めと情けなさを込めて「しょうもない」としたんだろう。氷魚くんは自分の思いを諦めたり手放したり表面的にそうしながら心のうちはそうでない、みたいな役柄がよく合っている。誰も足を止めることのないその掲示板の俳句だけど、杏はそれに救われてた。そりゃ昴の目の色、変わっちゃうよなぁ。2人の奥ゆかしくもドストレートな告白は、言葉のちからへの思いが同じ2人だったからこそ。先生!そこ触れないであげてーーー!とブランケットを握りしめ息を止めながら見守った。


誰に向けられた言葉かわからなくても、その言葉が自分を支え励まし救ってくれる。その時心に灯るあたたかい気持ちは、自分も自分の言葉でどこかの誰かのちからになれたらいいな、そういう言葉を生み出せたらいいなという気持ちに繋がる。
私はこのnoteという場所で何回そんな思いをしただろう。

誰も目に止めることのない町内会の掲示板に貼られた俳句のように、そのままの自分がそのままの思いで選んだ言葉を、これからもこっそり貼っていこう。
それにしても句会の進め方、作者の名前は評の後、っていいなぁ、webに放たれる文章でもそんなシステムあったら面白いな、と想像しながらこどもの残したパンの耳をかじる、日曜の朝。


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