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2020年12月11日 客席が埋まった映画館

一時の停滞を経て一席おきではなくチケットを販売する映画館が増えてきたとはいえ両隣が埋まっていて、見渡す席が埋まっている光景を見たのはいつぶりのことだろう。


春馬くん、見てる?
こんなのって久しぶりだよ。
きっとたくさんの人が抱いている思い。


ポップコーンの咀嚼音も、アイスの飲み物の氷の音も、スマートフォンのバイブレーションも聞こえない。
上映予定の作品の予告や映画館からのお知らせ、映画泥棒からのお知らせ。だんだんと照明が落ち本編が始まるその時が近づいて、埋まった客席からの高まる緊張でシアター3の空間が弾けてしまいそうだった。




目指すものも、そこに至るまでの長い長い道のりも全部明確に見えていた、だから、ずっとずっと走ってた、そんな人だったのかなと想像する。

そんな中でも、ほんのわずかな時間だったけれど、直接的なものよりずっとずっと繋がりを感じる救いもあって、それはとても美しいシーンで。そうすべきでないと思いながらも、どうしても、作品と現実の境界線が曖昧になってしまう。




何年もかけて1人の人の人生をなぞり学び生きる。内に滾るものを抱き、たくさんのものを背負い走り続けた人の人生を生きる。
春馬くんは五代友厚を生ききった。いけない、また、重なる。

もっといろんな思いが溢れ絡まって悲しくなってしまうかと思っていたけど、きちんと着地点まで受け取ることが出来たその清々しさを感じながらエンドロールを最後まで見守る。
真っ黒のスクリーンの真ん中に、先頭を切って「三浦春馬」と表示されたことが誇らしかった。


春馬くん、見てる?
ここでもまた、思う。




あっという間の109分、もっとじっくり見たかったところ、知りたかったところがたくさんあった。
でも、作品だけで完結するものではきっとなくて、作品をきっかけに学び考え未来に引き継いでいく、ずっと続いていく壮大なプロジェクトの一端なんだ、と、映像にならなかった部分を補完する教科書のようなパンフレットを読みながら考える。大変、責任重大だ。


たくさんの春馬くんの姿とそんな新しい作品の立ち位置に満たされる帰り道。
勝手に感じた、やらなきゃでも何からやったらいい?という焦り、春馬くんはきっと見透かして、あの優しい笑顔で笑ってくれてるよね。





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