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映画『ヘアスプレー』

WOWOWで録画した映画『ヘアスプレー』。やっと観ることが出来た。
ミュージカルは久しぶりかもしれない、歌とダンスで彩られた2時間はやっぱりエネルギーにあふれたハッピーなもので、こうやってエンターテイメントから前向きなパワーと明るさをもらうんだなぁと再確認する。

物語のあらすじは以下の通り(公式サイトがもうクローズしてしまったようなので映画データベースより)。

60年代のボルチモア。ハイスクールに通うトレーシーの夢は、人気番組『コーニー・コリンズ・ショー』に出演して踊ること。でも現実は、ランドリー店で働く母エドナとオモチャ屋で店番する父ウィルバーに囲まれて、親友のペニーとテレビ放送を楽しみにしている日常だった。
そんなある日、番組のオーディションが開催されて、トレーシーも参加する。そこで目の当たりにしたのは、メンバーの中心的存在アンバーのステージママであるベルマが実権を握っている姿だった。失望するトレーシーだが、ダンスパーティで彼女のリズム感を見抜いたコーニー・コリンズによって抜擢される。レギュラーの座を獲得したトレーシーは、たちまち街の人気者となった。それが面白くないベルマとアンバー。
ある日、メイベルら黒人と知りあったトレーシーは、そのパフォーマンスのパワフルさに魅せられる。当時のアメリカではあからさまな人種差別で、『コーニー・コリンズ・ショー』でも黒人が登場できるのは月に一度の“ブラック・デー”だけだった。その理不尽さに公民権運動のデモにトレーシーも参加するが、ベルマの通報によって警察に追われる身となってしまう。
一方、その頃『コーニー・コリンズ・ショー』のダンスコンテストが始まっていた。視聴者からの電話投票で『ミス・へアスプレー』が決まる。会場の周囲を警官に包囲させて、トレーシーの参加を阻止しようとしたベルマだが、その策略は失敗する。黒人たちも飛び入り参加したコンテストで『ミス・ヘアスプレー』に輝いたのは、なんと黒人の少女だった。スタジオ内はダンス大会となり、全員が踊り出す。その中にはトレーシーと、幸福そうな両親の姿もあった。

http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=38171


トレーシー(プラスサイズの女子高生)が夢をつかんでいく過程、トレーシーの一方的な憧れから始まるリンク(『コーニー・コリンズ・ショー』に出演するイケメン)との恋、トレーシーの親友のペニー(厳格な母親を持つ)とシーウィード(ブラック・デーのダンサー)とのお互いの一目惚れから始まる恋、メイベル(シーウィードの母親)などブラック・デーに出演するメンバーとトレーシー達の友情と目指す未来に向け個々の細い流れが集まりうねりとなっていく力強さ、長年外の世界へ踏み出すことをためらっていたエドナ(トレーシーの母)の勇気、ウィルバー(トレーシーの父)とエドナ、そして、コーニー・コリンズ(人気番組のMC)の深く平等な愛、が、たくさんの耳に心地の良い歌で描かれる。

みんな何かを抱えているけど、それに対して卑屈な、捻じれた負の感情を抱いてはいない。自分以外の人の活躍が面白くない人だってその感情をわかりやすく行動にしてる。
物語だからねといわれてしまうような世界なのかもしれないけれど、こうだったら幸せだ、の「こう」が形となり観ている側に届くことはきっと意味のあることだ。

肌の色による差別、ルッキズム、前半の「その境界には線が引かれて当たり前」の世界から、物語の進行と共に平等への扉が開いていく。うまくいかないこともあるけど少しずつ、明るさを忘れずに、少しずつ。
最後には違いを超えてみんなで歌い、踊る。パフォーマンスそのものの楽しさと同じ楽しみを共有している喜びは、足し算ではなく掛け算となり何倍にもなる。気持ちや思いという形を持たないものの力の大きさを思い知る。

『コーニー・コリンズ・ショー』のブラック・デーのMCでありシーウィードの母親でもあるメイベル(クイーン・ラティファ)の歌は、耳から入った音が頭蓋骨と肋骨の内側いっぱいに響いて頭のてっぺんや指先足先が痺れてしまうような、まっすぐであたたかくて力強いものだった。
メイベルは「これまでがあるから今が、進むべき未来がある」と、置かれた状況を広く見渡せる視点で受け止めて、境界線を越えてくるものを拒まず受け止め抱きしめる、大きな大きな人だ。
彼女の店を訪れたトレーシー達そしてエドナに歌う『Big, Blond And Beautiful』、差別撤廃を求めるデモで歌う『I Know Where I've Been』(これは泣ける)、コーニーに促されショーのフィナーレで歌う『You Can’t Stop the Beat』。経験と思いと希望とそのすべてが歌となりメイベルから発せられる。

トレイシーとリンク、そしてペニーとシーウィードが歌う『Without Love』では、恋の素晴らしさ、惹かれてしまうことへの抗えなさがそれぞれのカップルが歌うハーモニーからあふれていて、思いがけず涙がこぼれてしまった。
歌の内容は出会えた喜びと失いたくないという思い、愛がないことがどれだけの欠落かというどストレートなものなんだけど、そう思うに至った経緯やこの歌が歌われる場面なんかが私の涙腺のパッキンをどこかにやってしまう。想い合ってそれが叶うってこんなに感情が高ぶることなんだ、I’m never going backだ、ともう遠い昔に置いてきてしまったそれを思い出す。
若いカップル達が歌うこの歌の前にトレーシーの父ウィルバー(と母エドナ)が歌う『Timeless to me』もかわいらしい愛の歌。この歌のエドナ(ジョン・トラボルダなんだけど)はもうすっかり完全に乙女!

思わず身体が動き出してしまいそうな歌と吹き出してしまいそうになる台詞や人物の描写で、良くない方向に物語が進んでしまわないか力の入る気持ちが大丈夫だ大丈夫だとほぐれていく(私はよくないことが起こった時のショックに打ちのめされないよう身構える癖がついてしまってるんだなと、こういうところで実感する)。

ペニーの厳しい母親プルーディーがツボにはまる面白さ!きっと本人に怒られちゃうけど、おかしみが滲む真面目ってある。彼女の厳しさは度を超えてもはやエキセントリックだ。
メイベルの店に出入りするペニーを見つけたエドナは「お母さんに殺されるわよ」と真顔で言う。本当にそうなってもおかしくないと思わせるプルーディーのクレイジーな母感がたまらない。お仕置きでペニーを縛った場面では、助けに来たシーウィードがそのロープの解けなさに「君のお母さん海軍の水兵?」と言う。ロマンチックな場面なのに、爆笑!

そして「これでいいんだ」という思いが湧き上がる。正しいことは正しい、でいい、好きなものは好き、でいい。やってくる未来はきっと明るいものだと斜め上の空を見上げる気持ちでエンドロールを眺める。


この作品は2020年の6月に渡辺直美さんが主演で上演される予定だった。あれによるそれで丸ごと全部取り上げられてしまった作品のひとつだ。

Crystal Kayさんのメイベル、観たかった、そしてきっと素晴らしいものだったはずの歌、聴きたかった。
平間壮一さんのシーウィードも、きっときっと軽やかでセクシーなものだっただろう。この作品の中の正義(と私が勝手に思っている)であるコーニー・コリンズは上口耕平さん(RENTのエンジェルの、やさしく力強く、でも掴んでもするりとその手をすり抜けていくような、掬っても指の間からさらさらと零れ落ちていくような儚い姿がいつまでも印象に残っている)、どんなコーニーだったろう、素敵に違いないだろうな。
去年、上演されたらきっときっと大きな意味を持つものになっただろう。過去をあれこれ言っても仕方がないのだけれど、取り上げられたままになってしまうのは、あまりにあんまりだ。

いつか、観る人の背中を優しく騒がしくカラフルに支え一歩前に押し出してくれるこの作品を、劇場で上がった幕のあちらとこちらで共有することが出来る日が、どうかやってきますように。
笑って泣いて、そしてきっと大丈夫という気持ちで劇場を後にする日が来ることを、ずっと待っている。


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