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2020年10月13日 自分の目で確かめる健全さ

火曜日を、火曜日の22時を、楽しみに待てた先週までがもはや懐かしい。
決まった曜日の決まった時間を楽しみに待てるって、清いことだよなぁとしみじみ思う。まだまだ待ちたかったのになぁと、しみじみ思う。

色んな人の気付き、そういう見方で見ればそう見えなくもないということ。
何が本当かわからない中で苦しい見方を選ぶこと。
それが本当ならこんなに虚しく悲しいことはないけど、それが明らかになることってこの先あるのかな。
明らかになったところでその先に何があるのかな。
春馬くんは帰ってくるかな。

もしも。
悪意ある関係者がいたとして、それが特定されたとして。
それでも、春馬くんがいない事実はきっと覆らない。
悲しいけど、きっと覆らない。


カネ恋1話をもう一度見る。

「今ムカついたでしょ。俺、わかってきた」と自信に満ち頷く慶太。
相手をまっすぐみて口を結んででも口角を少し上げて頷く。これ、見たことある。
申し開きのため今川の元へ向かう前、どんな手を使ってでも戻ってこいとあの井戸で次郎に言われた時の直親。
「エロトピア!」美咲ちゃんの目線より患者さんを解れた自分に嬉しくなっちゃう田中くん。
嬉しそうに頷く、役を生きる春馬くん。
生き生きと役を生きる姿、眩しい。

そして、カネ恋、ホワイトボードの文字。
「没」(と言われているけど)、わたしには「次」に見えた。経理部にあって当たり前の言葉。

センセーショナルな情報の引力は大きくて、そうなのかなと思わせる強い力を持っている。でも、自分の目で見る、見て腑に落ちるか確かめる、を割愛してあれこれ思ったり落ち込んだりするのは、早乙女さんの言葉を借りるなら「不健全」だ。

あれは「没」じゃなく「次」だ。
そう見えた、「思おうとして見た」かもしれないけどその方が明るいなら、苦しくないのなら、それでもいいか。
そんなことを思う、カネ恋第一話。




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