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映画「his」感想

 予告動画公開時。それまで公開されていた限られた情報とは桁違いの衝撃(という言葉が適当かわからないけど)を受けた。色彩と音のトーンが控えめな世界の中で、あたたかいものとそれだけでは済まされないものを切り取った2分の動画。よく覚えている、我慢できずに会社の休憩室で昼休みに見てしまい、午後全く仕事が手につかなかった11月14日。あれから何度見ただろう、本編を何度も見た今も繰り返し再生してしまうhisとの出会いの2分間。

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 私自身は性的マイノリティには該当していない。けれども「世の中一般の常識に照らし合わせて考えると」その大きな流れからはみ出しているなと感じるもの、共感を得られないだろうなと諦めていることはある。「自分的にマイノリティと感じる部分」を迅と渚に、玲奈におこがましくも重ねてしまう。だから彼らの孤独、やりきれなさ、通じ合えた喜び、そして前を向いた時の逞しさに拍手し涙してしまったんだ。

 そして彼らの日常の何気ない場面に、普段思い出すこともない、でも何故か覚えている家族との記憶が呼び起こされた。親に言ってもそんなことあったっけ?と言われてしまうけど、こどもはいつまでも覚えていることってある。空ちゃんもきっと大人になっても片手で卵を割るパパと、片手で卵を割れるようになった迅くんのことを、大人に愛されて過ごした時間のことを覚えているだろう。

 裁判の場面は、その実際を知らない私にとって衝撃だった。弁護士というのはあんなにも相手となる人物を追い詰め揚げ足を取るようにして依頼人の利益を守る職業なのか。演説のような「弁」で依頼人を「護る」職業なのか。大切な人たちが次々とあの場で追い詰められていくのを見ていられなかった。誰かを傷つけたくて裁判をしているんじゃないんだという思いが、それまで「なんとなく」だった渚に進む道を選ばせたんだ。

 そこから繋がる最後に向けての彼らなりの形。決められた型にはまる形でなくてもいいんだ。そこにこだわることをしなくてもいいんだ、という大らかさ、あたたかさが胸を満たす。こうであってくれたらいいなという期待を込めながら。思った通りでいいんだ、選んで、好きでいて、根に持って、泣いて、怒って、笑って、愛して、何かにとらわれることなく。予告で流れた印象的なピアノのメロディーと共に映し出された、緒方さんと空とゴエモンの後を歩く二人の距離と表情が、いつまでも私の心を満たす。

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 感情にかぶせる蓋がとても重たい迅。渚が訪ねてきたときの「は?」「で?」。重たい蓋をしてタンスの2段目にしまった想いが溢れてこないように、必死に冷たい言葉で拒絶して。「お前バイだったの?」なんて本心から出た言葉ではなかったはずだ。
 
 渚が現れた時も、長かった孤独に温度が宿ってしまって少しずつ頑なさがほどけてしまう翌朝も(この3人の朝食のシーンはとても好きなシーン)、酔った渚に乱されざるをえなかったその翌朝も、迅は感情的にならず、一貫してずっとひたすら、真っ当なことを言っていた。互いの感情をぶつけ合うことができた後、薪を割りながら、命の繋がりを目の当たりにしながら、緒方さんや空の存在や言葉を受け止めながら、前を見据える覚悟を決めていく彼の真っすぐな目の美しかったこと。その後の「愛しています」のやさしかったこと。

 まだ日の高いうちから準備を始める晩ご飯、こどもに聞かせる気なんてさらさらないトーンの読み聞かせ。仕方ない、相手は未知の生物だ。わがままで、危険予知力がなくて、思ったことをすぐ行動に移して、でもまっすぐであたたかくてやわらかい愛する人のこども。寝入った空を見つめた迅には、空の中に渚が見えたのだろう。受け止めるには大きすぎるでも抗えない事実、空が渚のこどもであることも、そこに感じる渚にさえ愛しさを感じてしまう自分の想いも。

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 繊細で、普通になりたくて、人が傷つくのを見ていられなくて、周りに感じさせてないように相手の全部を見ている渚。わかってもらえないという諦めをずっと抱えて、だから手に入れるわけがないと思っていた空の存在が支えであり、でも、それだけでは満たされないこともわかっていて。

 美里さんと帰ってきた迅への嫉妬、かわいらしくて、でも彼にそうさせた気持ちはよくわかる。いろんなことがうまく回り始めると不安になる、それが壊れてしまう時に傷つきたくないから先回りして確かめたくなる。くずなんかじゃない、迅がいない時間の渚の心にはほんとに「なんとなく」しかなかったんだ。

 渚がはぐらかすことなく自分で決めて選んだ道は、空を連れて迅を訪ねてきたことと裁判を経たあとの結論だ。後者は親としてこれ以上ない辛い決断であったことだろうけれど、結果としてどちらの選択も渚の人生にプラスとなる選択だったじゃない、渚は渚の思うように進んで大丈夫なんだよと肩を抱き寄り添いたくなった。

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 大人の言ったことや様子を感じ取って何も言わず一人で抱え込む空。大人が思っているよりこどもはなんでもわかっているって本当だ。ゴエモンと佇む迅に、自転車の練習をしながら渚に、ずっと前のことを確認したり気持ちを伝えたり。その小さなむねにずっと抱え込み心配している無意識の健気。その力の大きさ。

玲奈、渚を好きだったんだろうな、自分自身で思っている以上に。愛した相手に愛してもらえなかったことは「バッカみたい」じゃなくて「悲しい」だ。たとえ言っても仕方ないことだとしても自分の感情をぶつけても相手はいなくならないよ、大丈夫だよ、と寄り添いたい人をここにも見つけてしまった。

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 登場人物が本当に実在し白川の町で日々の営みを送っている、今もそう思っているところがある。「映画を見にいく」ではなく「迅と渚に会いにいく」という感覚。幸せなことに上映後の舞台挨拶に参加させていただく機会があったけれど、迅と渚がずいぶんとお洒落をしてスクリーンから出てきたようで終始混乱したまま終わってしまった。あんな機会もうないのだからしっかり目に焼き付けたかったのに、二人の姿が現実なのかなんなのかわからなくなってしまった。本当に悔やんでいる。

 ドラマ「カルテット」ですずめちゃんが言った『白い服を着てナポリタンを食べる時エプロンをかけてくれる』ような、「今日の人生」で益田ミリさんが書いていた『(つまづきそうになる)自分の世界に手すりをかける』ような。私とhisとの出会いはそんなふうに私をさりげなく支え包んでくれるものになった。今の時期のまだ冬の凛とした透明感と春霞が同居する青空を見上げる度、私はこの先もずっと、hisを、迅を、渚を、空を、遠くて懐かしくて美しい白川の景色を、思い出すだろう。

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