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2020年9月2日 見返して、また涙

楽しみというか、これで最後という覚悟を持ってというか、そうやって「せかほし感謝祭SP」に望まねば、という気持ちと、普段宗教めいた何かを信仰していないのに、もう四十九日か、その日でずっと高いところに行ってしまうんだ、その日を迎えたくないなという気持ちがせめぎあって、日付も曜日も認識できずに過ごした今日一日。
何度もスマホのホーム画面を表示させて確認するのに、全然頭に入ってこない。


明日に備えて、先週のせかほしの録画を観る。愛おしそうに漆器を撫でる様、JUJUさんに茶筒のお礼を言われて目を細める様、そして、最後笑顔のスローモーションにのせたあのナレーション。予告の笑顔が涙で見えない。


やめておけばいいのに、そのまま「太陽の子」を見る。
髪を切ってもらう全体がよく見える静かな場面、目に涙を溜めながらの「たくさん、未来の話しよう」、出征の時、手紙のナレーション。
声を上げて泣く、そんなことっていつぶりだ?って位。



Twitterでみかけた「春馬くんって呼んでる人の距離感なんなの」という指摘。
年下の男性への親愛を込めた敬称なんだけど、ダメなのかな。今それどころじゃないほどの悲しみの只中なんだけど、ダメなのかな。それなら何が正解なのかな、文句ない敬称教えてもらえないかな。
ダメだ、普段ならなんてことないことも、ひっかかる、そして、八つ当たりしてしまう。


何を見ても、みんな春馬くんがそこにいないことを受け止められず悲しい思いしていること、そしてみんなありがとうと言っていること、そればかり。みんなに愛されてみんな春馬くんの笑顔に、その存在に救われていたのに、どうして、どうして、とまたぶり返す。


ひとつ嬉しかったこと。
この夏、第一ボタンを閉めても開けても、どちらでも心地よく着られるバンドカラーのシャツを気に入って色違いで買ってよく着ていた。
NightDiverのDVD、「YOU」のスタジオセッションの春馬くん、濃紺のバンドカラーシャツ。長い首がより上品に見える、すごく似合ってる。それだけで、嬉しい。


嬉しい気持ちを探してくる。悲しさを押し除けるようにして、無理やり。明日はいい日になりますように。



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