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しなやかに、面白がって、重ねた時間「花桃実桃」

若くはないが老いてもいない。
先行きは見通せずとも、進む方向を選ぶ自由がある。

文庫本の裏表紙に記載されていた解説を読み、自分が過ごしている毎日と接した世界の話であることがわかる。中島京子さんの「花桃実桃」。そういうものを読みたい時、今はそういうタイミングだと1冊手に取りレジへ持っていく。表表紙にはエメラルドグリーンの背景にピンクや黄色の花や蝶が描かれている。

父の遺産であるアパートを受け継ぎ、会社員を辞め大家となる茜の物語。
父や兄、アパートの住人、昔からの友人、みんなと決して冷たい訳ではなく一定の距離を持って関わっている、いつも自分の斜め後ろの高いところからやり取りを見つめているような。人やモノに依存せず自分の足で立っている人が身につけている冷静さが心地よい…冷静さと茜の思考や感じる心のユニークさとのバランスが心地よい、が正しいかな?
同級生の元国語教師現バーテンダーのバツイチ尾木くんから浴びせられることわざやアパートの住人である玉井ハルオのウクレレ(ウクレレを弾く彼のことを茜は「ウクレリアン」と呼ぶ。そんな言葉あるの??)や大学の客員教授であるクロアチアのポーエット(詩人でいいのに、一貫して「ポーエット」)が見せてくれる英語の百人一首について、悪びれずこそこそせずウケを狙わず、茜だからできる独特の解釈をしていく様子とその解釈そのものが、表の姿との間のなんともいえない魅力的なギャップとなる。

奏でる音楽が「例のごとく信じがたいほどの哀調を醸し出す」若いウクレリアン、「見栄や意地のために他人に頼れる機会を自ら逃す気持ちなどさらさらない」父子家庭の父親、自国に残した恋人を思い百人一首を読みながら涙する異国のポーエット、老いと向かい合い抗い施す「お直し」マニアの同世代の女性、異界の家族と共にある探偵、そして、父の晩年をいっしょに過ごした愛人のばあさん。さまざまな事情を持つ住人たちと、冷静に、でもちょっとのお節介をついつい発揮しながら関わっていく。執着せず、面白がり、楽しみながら。

そういう感じ、この先生きていく上で必要なことなんだろうな、と思わされる。他人に対しても、自分に対しても、降りかかる様々な出来事に対しても。
大切な人を亡くしても、病気で臓器を失っても、それをネガティブな理由にすることなく、人生の軸は自分の身に起こったことも全部ひっくるめて自分にあると認識する、揺るがない潔さの上にある軽やかさ。肩にのしかかるものは大きくなる一方だけど、それをうまくいなして自分の可動域を狭めることなく。


昔からの友人、いや、昔から知り合いで大人になってから友人となった尾木くんの容姿に対する茜の描写には、思わず笑ってしまった。悪意はさらさらなくて、特別な感情を意識することなく長いことその存在を認識し続けてきた時間があるからこそ言える「そう、それそれ!」というジグソーパズルがはまる時のようなピタリ感があって。
はじめ「容姿だけ切り取ってみればジャニーズ系と言えなくもなかった」だったのに、「老成したアンパンマンみたいな雰囲気」「土偶っぽい硬直性をかもし出している」、最後には「硬くなった人形焼みたいな表情」となる。ジャニーズから人形焼(しかも「硬くなった」。水分が飛びひとまわり小さく色濃く縮まる人形焼が目に浮かぶ…)まで、茜の目にそんなふうに映るけれど、二人に信頼があるからこそなんだろうと、恋愛とも友情とも言い表せない「期待」を含んだ存在が尾木くんなんだ、と思わせられる。
はっきりさせたらきっとそういう結果に繋がるだろうと見込めて、でもそうできるのはいつかでいい今じゃない、と思える関係。長い人生、そういう人がいることって救いだよなと思う。

それぞれの生き方をそれぞれ楽しめばそれでいい。いつまでも昔の価値観を押し付けられて、反発するのも面倒ででもそれはチクリとずっと心に引っかかっている。それでも、引っかかりを抱えたままでも案外楽しめるもんだ、茜を見ているとそんなふうに思えて、肩に入っていた力がふっと抜けるよう。

生きてきた年月の長さを感じさせられるちょっとした不具合や不都合、「ちっともいい男ではなかったけれども、ともかくあのころは、好きだった」と思い出す昔のこと、父の愛人にお礼を言えない自分を父譲りの頑固と感じる心。人は生きていく時間を積み重ねることで純粋になっていくのかと思ってしまう。
理由はさまざまでも、なんだか気持ちが晴れない時、吸い込む空気が重たい時、繰り返し読みたいと思える、にぎやかであたたかい重ねてきた時間とその上で軽やかに生きる茜の物語だった。




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