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2020年12月5日 輝きのその後ろにあるものを思う

午前中冷たい雨が降った今日。特別に寒いなと思っていたけど、もう12月、寒いのが普通の季節。日々ベランダで空を見上げて季節の移ろいを感じていたつもりだったけど、追いついていなかったみたいだ。

クリスマスのワクワクとキラキラと祈りと救いと、その隙間に感じる孤独が心地よく胸に響くJamie Cullumの新しいアルバムをかける。
アルバムのタイトルにもなっている「The Pianoman at Christmas」の歌詞、「I’m just the piano man 」「I’m always the piano man」という言葉が、ずっと頭に残る。
手にしたネームプリンターに迷わず「ACTOR」と打ち込みできたものを胸に貼っていた、引っ掛かりのない書き心地の万年筆で「I’ve been busy」と書いていた春馬くんが、その言葉と結びついてしまう。

周りがどんな状況であっても、ただ、いつも。
自分の存在は、ただ、いつも。
クリスマスだろうと、舞台の上で満席の客席から割れんばかりの喝采を浴びた時だろうと、全てをかけて取り組み続けているものが不要不急とされ突然空白に放り出されてしまった時だろうと、ただ、いつも。

1人で飲んでいる時聴きたい曲としてJamie Cullumの曲あげていたよなぁ、このアルバム聴いて欲しかったな、とまた叶うことのないことを思う。

私が春馬くんに惹かれてしまうのは、彼のエンターテイナーとしての素晴らしさや想像を超えた努力を当たり前にし続けている姿、演じていない時に見せるギャップはもちろんなんだけど、あんなに眩い光を放っているのに「陽」だけじゃ決してないところ、輝きの後ろにあるものが見えるところ(と勝手に思っているだけなのかもしれないけれど)、それが理由の大きな部分を占めている。

クリスマスのワクワクやキラキラ、溢れるハッピーのその影に、ひっそりとでも確実にそこにある孤独に惹かれてしまうのと近い。
輝く世界を突き詰めたい思いとそこに向かう覚悟、その道を進むために諦めなければならないことや手放さなければならないこと、そうあることへの苦悩、それを近しい人と共に背負うことを選択しないところ。

その道を進み極めていくために誰しもが持っているものなのかもしれないけど、年々それが創り上げるものに大きく作用していたのかなと、光が強ければ影が濃くなるのは必然だよなと、全く私の想像でしかないことだけれど、そう思う。

いけない、暗すぎる。
そんな時思い返す2016年の春馬くんのローラを初めて見た(Youtubeで、だけど)時のこと。細く華奢なイメージだった春馬くんが、ローラとなり大きく美しい肉体があらわになったのを見た時のこと。
直視できなくて両手で目を覆うけど指の隙間からしっかり目に焼き付ける、みたいな気持ちだった。脱がなくてもすごい人が脱いだらもっとすごいって、もうすごいが渋滞しててすごいの先頭が分からなくて何これわあわあと混乱した時のこと。嬉しい混乱、ニヤニヤしてしまう。


土曜日にその週にあったことや感じたことと一緒に春馬くんのことを思うのがルーティンになっている。
今週初めて見聞きした情報にあぁそうなんだと思い、素敵な姿を思い返して苦しくなって、自分にできることはなんなんだろうと堂々巡りの自問自答をして。
でも、きっと同じような人がたくさんいる、直接繋がりがある訳でなくても思いを馳せるその先がおんなじだと思うことの心強さを思う。2020年残りわずかになった土曜日に。

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