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天使さん

2022年 10月

 毎月、月末になると借金の支払いを済ませたあと、ギリギリになってから「つぶやき」を書く…。もう随分前からの習慣だ。

 初めて「つぶやき」を書いたのは、映画『奈緒ちゃん』が完成した1995年、初めての自主製作映画の、初めてのチラシの裏面に、「つぶやき」というタイトルの短い文章を書いた。誰に向かって、という訳でもなく、口の中でモグモグと、言葉になるようなならないような思いを映画にした自作の語り口は、「つぶやき」のようだな、と感じてたから。
 以来、自主製作・自主上映で映画を創り続け、月に一回「つぶやき」続けている。まだツイッター(「つぶやき」という意味らしい)なんて無い時代から「つぶやき」続けているのだから、大したもんだろう?

 自作の映画は、前に創った作品が、ありがたいことに今も上映されているけど、「つぶやき」の方は、昔書いた文章が今も読まれていることはまず無いだろう、と思っていたら、つい先日、数年前に書いた「アナンジュパス」というタイトルの「つぶやき」をもう一度読みたいという問合せがあり、探して読み直したら、確かになかなかの名文であった。

 「アナンジュパス」とはフランス語で、会話が途切れ、黙ってしまう“間”のことで、「天使が舞い降りる」という意味合いであり、その状態のことをフランスでは肯定的に受け止めるらしい。
 聞きかじったその言葉に共感して、途中で言いよどんでしまうようなことの繰り返しの人生で、不安に押しつぶされそうになるばかりだけど、そんな時は「今、天使が舞い降りて来てる…」と思うことにしよう。
 そんな時にしか、天使はすぐそばに来てくれないかもしれないから、その「不安な時」を大切にしよう、と しょうもない自分に都合のいい解釈をしている一文だ。

 「つぶやき」は独り言だから、ひたすら自分自身に向けて語りかけている表現、黙っていることと言葉にすることのアイダにあるような宙ブラリンの思いなのかな…。
 私の映画もそんな感じかもしれない。「何が言いたいのかよくワカラナイ」と言われ続けながら創ってきたから「つぶやき」のようなもんだ。
 でも、創らないわけにはいかない、という切実感があるから続いている…。映画を創ることは、病気の治療行為のようなものだから、ホントに創らないわけにはいかないのだ。 

 「アナンジュパス」、天使さんは舞い降りて来ているに違いないのに、一度も私に声がけをしてくれない。たまには「よく頑張ったね」とひとことくらい言ってくれてもよさそうなのに…。
 でも、「まだまだだ」ということなのかな? 「まだまだ」と気づかせるために天使さんは舞い降りてくれているのかもしれない。

 誰に何と言われようと、宙ブラリンな映画を「まだまだ」創り続けよう。
 天使さんはメッセージを届けるために、励ますために近づいて来るのではなく、
 ただ黙って、ジッと耳を澄ますために時々やって来るのだ。
 耳を澄ませて、そばにいるよ…と。

 きっと、誰のところにも…。


(かんとく・伊勢真一)


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