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立川寸志の伊勢ばなし⑦伊勢の廃線跡を「歩く」~伊勢市電~

 伊勢五日目の朝。毎晩飲んでも全く二日酔いにならないのが不思議です。この日は伊勢市電の廃線跡を歩く計画。まずJRで二見浦駅まで。ホームの長ーーいベンチが観光客や修学旅行客でにぎわった頃を思い出させます。夫婦岩を模した駅舎の前のロータリーはひたすら広く、雨の朝の寂しさをつのらせます。

十五人くらい座れそうな二見浦駅ホームベンチ。
ずばり夫婦岩デザイン。

 伊勢の市電は明治36(1903)年から昭和36(1961)年までの57年間、伊勢神宮・二見への観光の足、市民の足として活躍し、「神都電車」とも呼ばれました。旧山田駅から外宮前、そして内宮前を結ぶ路線と二見へ向かう路線があり、二見方面の終着駅「二見駅」の跡はバスターミナルを経て公共施設の駐車場になっています。
 夫婦岩参拝もそこそこに、公共施設駐車場から伸びるあやしいカーブをもつ廃線跡道路に歩を進めます。広い国道を渡って細い道に入ると、はい、市電の廃線跡です。この絶妙なカーブたるや!

コンクリートの壁も道に沿って湾曲しています。素敵!

興奮の境界石と鉄橋跡

 雨はしのついているが心地よく廃線跡ウォーキングを楽しんでいたところ、思わぬ発見に大興奮しました。境界石です。用地の境界を示す杭状の標識で、石でできています。「三交」と彫られているのは、これは昭和19(1944)年からの市電の社名「三重交通」のこと。ここが市電の電車道だったことがわかります。

時代はさほど古くない物のようです。

雨はますます激しくなってきますが、バスに乗るわけにはいきません。どうしても写真を撮りたい場所がありました。それは五十鈴川を渡る鉄橋跡。まだ橋脚が残っているのです。汐合鉄橋跡と呼ばれるものですが、現在の汐合橋が交通量は多いが歩道が狭く、傘を持った状態で立ち止まってスマホで写真を撮るのが身の危険を感じるほど困難で、渡り切った後に撮ったのがこちら。向こうの並木は突堤であそこから鉄橋が伸びていたそうです。

雨が激しく川も濁流うずまくような。

 さすがにここでギブアップ。近くのバス停からバスに乗ってホテルへ帰り、熱いシャワーを浴びました。昼食はO記者のご案内で、松阪の行列のできる鳥焼き屋「前島食堂」へドライブ。肉とタレの美味さで白いご飯が進む進む。松阪は牛だけじゃないのですね! 年末観た『孤独のグルメ』に出て来てビックリ。夜はホテル裏の焼き鳥屋さんで軽く一杯。あ、鳥がカブった! カブってもうまい!

立川 寸志(Tatekawa Sunshi) 落語家

https://tatekawasunshi.com/

【滞在期間】2022年11月25日〜12月1日

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)