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伊勢滞在記-03 / 庭園美術家 長崎剛志 / N-tree

石の細胞

石積みは人間の手で、石を結晶化させる行為。

松下社 手水舎周りの石組・裏


2023/ 1.11 禊までの岩風景

松下社 手水舎周りの石組 前面
自然が生みだした形を人間が生かす作業
整頓された掃除道具
目に浮かぶ はいつくばる人の姿
竹の熊手と砂利の音
掃除も「人の自然による共同作業」といえる
伊雜宮 角石
伊雜宮 石垣の天端石と生垣の下枝が交わる線が優しい
石そのものの色は内在していて、環境によってカメレオンのように変化し、場に馴染んでいく。


上之郷の石神
神恩感謝とある志摩の三代石神
大小数個の石に注連縄が巻かれているのが印象深い。
竹が乾燥で割れ響き渡る音が流れていた。
石神の割れ目
石も生きていると思っている。自ら裂け、口を広げ、そこからいろいろ飲み込み、生み出す。
石の割れ目から生える芽が木に成長していく様子が大好きだ。


この絵はまさに庭園、神社の庭を見つけた!
自然を求め、近より、橋をかけ、鳥居を設けて、石を立てる。
ここには社はない
神社の庭とは建物に付随する庭ではなく、社がなくてもそこは神社の庭である。
天の岩戸
風穴まで整備された山道に交わる落石とのコラボレーション
永遠に続く山の管理は重労働によって力強い関係を築く
人と自然による変化しつづける風景
風穴と猿田彦の祠
猿田彦の祠と神木周辺の生きている石群
自分にとって庭の原点を見た気がした
山頂からのつながりを感じる滝
地中の石の間を流れる水の力を浴びる禊場
更衣室裏の片持ち石

「斎庭」

どこまでその領域に入っていいのか? 触れていいのか? 神社の庭にたずさわる時、常に自問自答しなければならない。木と石を使うことの危険性に身を引き締めなければいけない。普段、私たちが思っている「庭」は人間の都合でつくられているものが多い。しかし、神社の庭は人間の意志を最小限に抑えて、自然の都合に合わすものだと思う。時代の変化と共に、人と自然の領域の間には様々なものが増え、混乱し続けているようにも見える。その交わりや割合を整え、少しでも浄化作用のある領域を生み出すことがこれからの自分の仕事なのではと思っている。

最後に、深く美しい伊勢の国の風景に敬意を表すとともに、出会いの機会をいただいた事務局の方々に心から感謝申し上げます。

 
令和五年 四月
庭園美術家  長崎 剛志


Takeshi Nagasaki


http://n-tree.jp/


長崎 剛志(Nagasaki Takeshi) 庭園美術家

http://n-tree.jp/

【滞在期間】2023年1月5日〜12日

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)