<伊勢滞在記>青柳 龍太(Ryota Aoyagi)

初めて伊勢神宮に行ったのは、もう随分と昔の事。確か20歳の頃の1月2日、知り合いに誘われて。行った日が良かったのか、悪かったのか、結界のような場所だと感じた事を朧げには覚えているが、主な記憶はとにかく人が多かった事、それだけ。行列の中、牛歩のように参拝した。

だから思い出そうとしても、人混みの景色しか思い出せない。赤福も並ぶのを諦めて食べなかった気がする。とはいえ、悪い印象だったというわけでもない。伊勢市によるワーケーションで伊勢に滞在出来る事が決まったときに、真っ先に行ってみたいと思い出したのが、やはり伊勢神宮だったのだから。

26年ぶりの伊勢神宮で僕が体験した事をどのような言葉で表せばいいのだろう。

誤解を避けたいのであえて先に述べるが、僕はパワースポットだとかそういうことには全く興味がない。にもかかわらず、それはやはり神秘的であったとしか言いようがないので僕は言葉に迷う。

到着した日にまずと伊勢神宮へと向かわなかったのは、曖昧とは言え、やはり昔の記憶があったからだろう。今回、僕はどうしても人がまだ少ない朝一番に伊勢神宮を参拝したかった。そうしなければ、自分が見たい伊勢神宮の姿を見る事は出来ないだろうと直感していた。

そしてこの選択は正しかった。

12月の朝5時、空にはまだ無数の星が輝いて、外宮の参道は真っ暗で、ほとんど何も見えない。

玉砂利を踏み締める足音だけが心地よく辺りに響いている。

僕は古い物が好きで、奈良に古寺を見に行ったりもするが、伊勢神宮には、そういった所謂見るべきものはない。

鳥居があり、木があり、ところどころに別宮があり、奥に正宮がある、ただそれだけ。

それらも式年遷宮により20年毎に建て替えられるので、特別に古い建造物ではない。

お祈りをするという行為が、僕の日常にはあまりないので、ただそのことによる高揚感はあるが、僕は心の何処かで、なんだこんなものかとも思っていた。いや、当然こんなものだろうとも。

そもそも僕はそれまで神社を参拝して感動した事などただの一度もなかったのだから。

暗闇のなか、外宮を参拝し終わり、順番通りに次は内宮へと向かうのだが、早朝という事もあり、バスはまだ運行していないし、タクシーも見当たらない。もしタクシーがそこにあれば乗っていたかもしれないが、幸い僕の前には現れなかったので外宮から内宮まで、一時間半かけてゆっくりと歩いた。かつて人々が江戸から伊勢まで歩いてきたことを思えば、外宮から内宮までくらいはせめて自分の足で歩いてという気持ちもあった。

山を越えての道は知らなかったので、アスファルトのありふれた道を。ただ黙々と。

今から思えば、この歩いた時間も、そして冬の寒さも、内宮を参拝する為に必要な要素だったのだと分かる。まだかな、まだかなと知らない道を歩いて、ようやく内宮に辿り着いた僕の身体はすっかり冷えきっていて、内宮参拝より先にとにかく温まりたいと、この時間に唯一開いていた赤福に、これ幸いと駆け込んだ。

まだ誰もいない赤福の店内の静まり返った空間の美しい事。出されたお茶の温かさの有難い事。

そして疲れた身体に赤福の甘さの優しい事。

なるほどだからこそここで昔から人々は赤福餅を食べたのかと腑に落ちた。はるばる江戸からやってきて疲れ切った人々が自分と同じようにここで、ひとときを過ごしたという事を。

故なくそこにあって続いてきたわけではないことを。江戸時代、人々はどんな思いではるばるここまでお蔭参りをしに来たのだろう。伊勢神宮に何を見に来たのだろうと期待は高まる。

6時半過ぎ、夜明け前の空の下、内宮へと向かう。外宮の時間帯とは違い、視界は開け、内宮は青白く、空気は澄んで、掃き清められていた。

まるでまだ足跡のない雪道を歩くかのように。

玉砂利の音。樹齢を想像も出来ない巨木。

深い緑。御手洗場の川の流れ。〆縄で囲まれた場所。

伊勢神宮には、奈良の古寺のような見どころはないと思っていた僕はあきらかな考え違いをしていた。お宮だけが伊勢神宮なわけではないのだ。

この石が木が水が風が光が、これら全てが伊勢神宮なのだ。ところどころに現れる印としての人工物と自然の見事な調和全てが伊勢神宮なのだ。

一歩一歩と進むうちにそのように理解し始めた僕は、正宮に辿り着き確信を得た。

そこに何かがあったわけではない。

そこには何もなかった。

ただ、みとばりが、白く優雅に揺らめいていた。

そこに在ったのは、姿ではなく、確かな気配だった。それだけの事なのに、いや、それだけの事だからこそ、気配だけだからこそ、あまりに簡素で美しく、思わず首を垂れたくなるような厳かさがあった。あらゆる場所に神は宿りたまう。

古来、日本人にとって神とはそういう存在であったのではないだろうか。

幽玄や、侘び寂びという日本的概念を何故日本人は抱くようになったのか、僕にとってのその答えを、僕は、あのみとばりの白き揺らめきに見つけた。その儚さに、その簡素さに。

式年遷宮によって20年毎に建て替えられるその建築はいっそ潔く。

遺跡としてそこに在るわけではなく、常に新しく、いにしえの姿を、今に、そして未来に伝えていく為に生き続けている。ここはかつて神がいた場所ではなく、今もこれからも神がいる常若の場である事を示す為に。

1300年近く、この営みを続けてきた人間はいったいなんなのだろうか。

いや、伊勢神宮のように20年毎とは言わずとも、我々人間自身も、50年毎、今は80年毎に、代替わりし続けて、この命を絶える事なく繋いできたのだ。常に若く、また新しく。

そう気がついたとき、僕は正宮に、素直に、感謝と祈りを、ただ無心になるという行為で伝えずにはいられなかった。伊勢神宮こそは、森羅万象、この世界に対する人間からの感謝と祈りと畏怖が、捧げ続けてこられたことの静謐な結晶なのだと理解したから。

深い静かな感動を胸に、帰路につこうと、宇治橋を渡り始めたときに、橋の向こうの人からの騒めきを感じて振りかえると、今まさに、背後の山の向こうから、太陽が昇ってくるところだった。

撮影の邪魔になってはいけないと焦りながら宇治橋を渡り終えて僕も見た。

冬至に近いその日は、ちょうど鳥居の真ん中に。美しく太陽が光り輝いていた。

内宮の正宮には天照大御神が祀られいる。

見渡すと、あたりはすっかり明るくなり、この世はあらゆる色彩を取り戻していた。


青柳 龍太(Aoyagi Ryota) 現代アート作家

【滞在期間】2022年12月4日〜12月14日

美術手帖2023年4月号、連載「我、発見せり。」より

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)