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七日間の、伊勢の時空旅

伊勢市クリエイターズ・ワーケーションに参加しました。本当は昨年の1月に行く予定が一年半延びました。
募集を知って、浪曲師である私、玉川奈々福と、弟子の奈みほ、曲師(浪曲三味線)の沢村豊子門下の沢村まみの三人チームで申し込みました。私の父の故郷が三重県松阪市で、伊勢はなつかしく、その割に何も知らないので、この機会に伊勢を知りたいと思ったことと、一週間ワーケーションに参加することで、多忙な日々の中でなかなかまとまった稽古時間をとってやれない状況の弟子たちに、集中した稽古時間をとってやれる、私自身も心身落ち着いて稽古する時間がとれると思ったからでした。


6月15日。初日。
お昼に伊勢入り。お昼ご飯は近鉄特急の中でお弁当。ホテルに荷物を置くや、まずは外宮にお詣り。
勾玉池は菖蒲の花盛り。神宮は社に御神体がまつられているが、外からは見えない。私自身は、神社の御神体は、杜そのものではないかと思っている。巨木、古木に惹かれる。外宮の古木の、苔にまかれた、節くれだった姿の魅力的なこと。


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外宮を散策したあと、参道の茶店でほうじ茶と赤福でひとやすみして、月夜見宮へ。誰もいない。ここも古木が美しい。

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ホテルにチェックイン。夕方、事務局の三宅さんに初めてお会いする。どれだけやりとりしていただいたことか、やっとお会いできましたね~よろしくお願いいたしま~す!
と、打ち合わせしてから、夕飯へ。
大阪・福島のフランス料理の名店、ミチノ・ル・トゥールビヨンのオーナーシェフ、道野正さんは、ディープ浪曲ファンで、お店に何度も伺っているが、私が尊敬するそのシェフが「親友」と言われる方のお店が伊勢市の外宮前にあると聞き、伺う。
「ボンヴィヴァン」。もと山田郵便局電話分室として使われていた洋館。オレンジ色の屋根、白い壁の建物は美しく、エントランスからわくわくする。そしてお料理の素晴らしさは、ちょっと言葉が見つからない。地元食材を使った、心動かされる美味しく美しいお料理。天井が高く、美しい花が飾られたお店の雰囲気、気さくなオーナーシェフご夫妻、ふわふわしてしまうほど、幸せなひとときだった。

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16日。ワーケーション二日目。早朝、外宮お詣り。
朝ごはん食べたあと、まずは旧丸岡宗大夫邸にご案内いただく。

過去に出羽三山で山伏修行した身として伊勢御師に興味があり、御師の末裔の方に教えを乞いに行く。山伏と御師はちょっと違うのだけれど、いずれも宗教者であり、ビジネスマンでもあり、市民生活の枠の外の人であり、とくに伊勢御師は有名なので、興味があった。
御師とは、神職。所属する神社があり、全国に信者(檀家)を持ち、それを組織している。毎年御師の手代たちが全国の信者の家々をまわり、神社のお札を配り、代わりに寄進を受ける。そして遠路お詣りする「講」の人々を現地で迎えて、祈祷をし、神楽を催し、宿泊させ、接待する。宗教者でもあり、ツアーコンダクターでもあり、商売人でもあり……相当な財力を持った御師もいたらしい。
富士浅間神社の御師、石清水八幡宮の御師、熊野御師、賀茂の御師など全国の神社に御師がいたが、とくに伊勢御師は数も多く有名です。ほかの地域では「おし」といいますが、伊勢だけは「おんし」。一時期は、伊勢の宇治と山田に800もの御師の家があったそうだ。
 
伊勢市に唯一残っている御師の旧居・丸岡宗大夫邸。
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/matikado/da/detail?kan_id=1093384
伊勢神宮は内宮と外宮とがあるが、丸岡宗大夫は外宮の御師。慶長年間……というから、江戸時代になる前から、伊勢に移住し、明治4年に、明治新政府によって御師制度が廃止されるまで、代々外宮の御師を営んだ。
かつて800もあった御師邸だが、現存するのはこの丸岡宗大夫邸のみとのこと。館長の丸岡正之さんは宗大夫の末裔で、御師のことを詳しく解説してくださった。
丸岡さんのお話を聞いて、一番驚いたのは、江戸時代まで、宇治山田……現在の伊勢市は、豊臣秀吉以来、領主のいない完全な自治都市であったということ。伊勢市の商工会議所のサイトによれば。
「全国的に太閤検地を行った豊臣秀吉は伊勢については宮川以東を神領として、自治の特権を認めた。徳川家康もその政策を引き継いだので、山田三方と宇治会合が町の自治に当たり、幕府直轄の山田奉行がそのお目付役となった」
とのこと。
つまり「公界」だった。
公界については、網野善彦先生のこちらの本を。
https://www.heibonsha.co.jp/book/b160341.html
税は免除。自由な商取引ができる町。
いやあ、知らなかった! その、自治組織「山田三方」の構成員がいずれも御師であったそうで……つまり、宇治山田は実質的に、御師町だったのだ。

宇治山田の御師。本人はこの地を動かず、全国の信者のもとへ「手代」を派遣して、伊勢神宮のお札や土産物を持っていき、祈祷を上げ、初穂料をもらい、信仰を広めた。
お土産に持って行ったものは、伊勢名物二見浦名物の海苔、楊枝、伊勢茶……とにかく、軽くてかさばらないもの。そりゃそうだ。近郷近在から、遠くは東北の檀家の家まで旅するのに持っていくんだから。
一番喜ばれたのは「伊勢暦」だったとか。
当時はカレンダーなんかない。
三重県の公式サイト内「歴史の情報蔵」の中の記述によれば。
「当時の人たちは、暦を手にするまでは、一年の日数も月の大小配列もわからなく、暦はとても貴重な存在でした。伊勢暦は日常生活に密着し、八十八夜、二百十日などはもちろん記されており、神宮の暦であるという信仰と信頼に裏付けされ、御師達によって確実に配布されたため、人気が高かったように思われます。」

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数ある御師の中で丸岡宗大夫は、館長さんいわく「うちは中小企業でした」。
全国に檀家が8700人ほど。えええええ。立派な長屋門をもつこのお屋敷の持ち主、8700人も檀家がいて、「中小企業」なの?
「はい、伊勢で一番大きな御師、三日市大夫は、全国に30万人の檀家がいて、伊勢講でお参りに来た檀家100人を泊められるほどの屋敷を持っていました」
すごい。
しかし、そんな御師たちが。明治維新のがらがらぽん。
明治四年に御師制度が廃止となり、御師も手代も、それにまつわる人たちも、突然、上からのお達しで、廃業せざるを得なくなったとのこと。
明治維新って、修験道も禁止して全国の山伏も廃業したし、廃仏毀釈もあったし……宗教的に、激動を生んだ時代だったのだなあ。
丸岡さんの家は、御師たちの暮らしの文化度の高さをうかがわせる書画が飾られていると同時に、職を失った御師たちの窮余の策、古物商を営んだときの看板や、自転車を輸入販売した看板、皮膚科の医者を住まわせて出張医院を営んだときの看板なども残されていた。

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丸岡邸を出て、外宮へ。月次祭を見に。斎服に冠の装束の神職の方々がずらっと並び、玉砂利をじゃっじゃっじゃっ……と足並みをそろえて、歩いてくるのは圧巻……というか、いま自分がどこにいるのか、現代にいるのか、ぽんと時空を移動したかのように感じた瞬間があった。
お昼に伊勢うどんを食べて、午後はお稽古。

お稽古場は、神社の境内の、気持ちよく年月を重ねた古い公民館。畳敷きのお部屋は広くて、存分に稽古できる幸せ。
晩御飯は、電動アシスト付き自転車を借りて、河崎まで足を伸ばす。川沿いの、商人町の古い街並みを楽しみながら走り、蔵を改装したお店に惹かれてふらりと入る。アタリ。お刺身、手捏ね寿司、すばらしかった。

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そのまま自転車を走らせて、内宮まで。閉門時間を過ぎていたが、人気のないおはらい町の風景はタイムトリップしたようだった。

17日。ワーケーション三日目。朝いちばんで、宮川沿いの、山田奉行所記念館。宇治山田に置かれた奉行所の跡地に、設計図をもとに一部を再現して建てた、資料館だ。

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館長さんからご説明いただく。
宇治山田、現在の伊勢市は領主のいない自治都市、公界であった。その町の奉行所の主な役割は、伊勢湾の海上保安。奉行所管轄の御座船を持っていて、船蔵もあった。幕末には黒船襲来の恐れもあり、砲台があり火薬庫もあったとのこと。もう一つ大きな役割は、式年遷宮の事務方。遷宮のための木材は、始まった当初は紀州の木材を使っていたが、足りなくなり、木曽の木材を使うようになった、その交渉も任されていた。宝物を作る職人との交渉等も。裁判は町の自治機関が担当しており、奉行所のお裁きは仕事のなかでわずかであったとのこと。

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浪曲の演題に「阿漕が浦」というのがあり、山田町奉行だった大岡忠相と、のちに八代将軍吉宗になる徳太郎の出会いを描くが、舞台がこの奉行所である。
18日の公演で、弟子の奈みほが演じる。
だから興味はいろいろ尽きない。
昔の設計図をもとに、お白州が再現されている。
伊東乾著「サウンド・コントロール」という本を読んだときに、奉行所における声の権力性ということが書かれていた。長崎、平戸の奉行所の構造を調べると、奉行の声は響くように、白州の声は響かないように設計されていた、と。声の響きによって、その場の権力性が決まってしまっているのだ。奉行が座っていた位置に座り、声を出してみて、どんな感じでさばいていたのかを想像する。

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奉行所を出て、伊勢路古市街道。吉原、島原とともに三大遊郭に数えられた古市遊郭は、いまあとかたもないが、そこに伊勢古市参宮街道資料館がある。
到着してみると……小高い丘の上だった。はるかに朝熊山が、そして海が見渡せる。
江戸の吉原は、浅草寺の裏の「吉原田んぼ」と言われた湿地帯にあり、京都の島原も街中だが、周囲は田だったとも聞く。丘の上の遊郭って今まで知らなかった、そのロケーションにびっくり。資料館には、当時の写真がいっぱい残されていた。公界の遊郭は、吉原とはずいぶん違い、古市に出るのは女の誉れでもあったとの話。御師の資料もあり、丸岡さん曰く「大企業」であった、伊勢で一番の御師だった三日市大夫の邸宅間取り図も残されていた。……でかいわ。あと、御師たちがお土産として配った伊勢暦や、伊勢の中でだけ流通していたお札「山田羽書」などの展示。太夫大変勉強になりました。

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資料館を出て、古市の面影を残す唯一の建物、旅館麻吉を見に行く。最上階の部屋からは、はるかに二見が浦を見渡せるという。

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内宮月次祭。宇治橋を渡り、五十鈴川の清流を眺めてから、境内を歩く。外宮と内宮、雰囲気がだいぶ違うし、規模も違う。それに、杜の林相が違うのだ。外宮は、けっこう照葉樹の古木が多い気がするのに、内宮は、針葉樹の大木が多い。
五十鈴川では、かじかがるるる……と鳴いている。
まずは正宮にお参り。そして前日の外宮同様、神職の方々がの行列が来るのをしばし、待つ。遠くから、じゃっじゃっと玉砂利を踏む音が聞こえる。白い装束の、神職たちが、足並みそろえて来られる。奉幣の儀式。外宮、内宮とも、一年を通じて祭事のない日はないという。この方々は、日々、祈ることを仕事としておられる。
おはらい町と五十鈴川散策。猿田彦神社にもお詣りし、芸能の神様であるさるめ神社でお守りを買い(これは帯につける)、お昼は定食屋さんで食べた。

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午後は稽古場。みっちりお稽古したあと夕方、翌日の現場、おかげ横丁おかげ座神話の館にご挨拶。この場所は11年前、桂文我師匠のご紹介で、一度浪曲会を開催してもらった場所だ。今回の公演のために、浪曲用の演台をつくって、ご準備くださっていた。
ご挨拶ののち、月讀宮お詣り。
外宮の別宮として前日に行った月夜見宮があり、内宮の別宮として、月讀宮がある。地元の方々には「げつどくさん」と呼ばれているみたいだ。
盛りだくさんすぎて、よれよれ、空腹になった一行、夜は、宇治山田のまんぷく食堂目指して行ったら……なんと売り切れと張り紙があって、すでにお店が閉まっている!
絶望的になりながら、この旅でのお食事処選定担当、曲師(浪曲三味線)のまみが、次案を提案。駅裏の居酒屋さんを目指そうということに。
居酒屋「げんこつ」。引き戸を開けた瞬間、「絶対アタリ!」と思った、おかあさん二人で江営業されているお店。予感は当たって、すばらしいお店。定食の、美味しかったこと!

18日。ワーケーション四日目。おかげ横丁おかげ座神話の館で公演。
あいにくの雨。公演は13時半開演だが、おはらい町を歩いてみたいので、早めの10時に現場入り。雨なのにおはらい町は、とても混んでいる。こりゃ疲れてしまうと、早々に楽屋に戻り、公演準備。満席のご来場。11年前の公演に来てくださった方も一人二人ではなく、でも浪曲初めてという方もおられて、説明を交えつつ、地域ゆかりの二席。弟子の奈みほが大岡政談のひとつ「阿漕が浦」を、私は藤堂藩の伊勢木綿の話「亀甲縞の由来」を。いずれも曲師は沢村まみ。あたたかい客席で、楽しく演じられた。

公演を終えて、遠路来てくださった旧知のお客様と、おかげ横丁の「浪曲茶屋」でみかんジュースのみながらお話を。「浪曲茶屋」、11年前に来たときには、いろんな浪曲音源を選んでかけられるようになっていたが、今は、アニメ「清水次郎長伝」が流れるのみになっていた……。
ホテルに送ってもらい、夕飯は歩いて、餃子の名店、美鈴に。ここも、アタリ! 家族経営なのであろう、店内の方々が一瞬の無駄もなく、餃子をつくり、注文を受け、から揚げを揚げ続けている、美しい流れ作業を見ながら、おいしく餃子とビールをいただきました。


19日、ワーケーション五日目。
五時起床。伊勢市発6:29分のJRに乗り、多気乗り換えで滝原へ。電車で1時間20分、度会郡大紀町にある、皇大神宮(内宮)別宮の瀧原宮に。

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瀧原宮は、天照大神が今の地に鎮座する前に、鎮座したと言われる地。深い山の中。
駅からタクシーに乗り、瀧原宮に着いたのが7時50分。誰もいない参道を歩く。一の鳥居から正宮までの境内の距離がけっこう長い。御手水場が、なんと、川! 雨上がりで山にもやがかかり、川にも靄がかかり、そこに朝陽がさしている。

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大木にはコケがもふもふに生えている。
もふもふ、大好き。

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清流の音。長い旅を経て、倭姫命が最初にアマテラスを鎮座させた地。瀧原宮、瀧原竝宮、若宮、土地神の長由介神社に参拝する。
深い山の中で、深呼吸。
ゆっくり参詣した頃、ぽつりぽつりと人が来る。誰もいない早朝に来てよかった。
道の駅で、シュークリームと、朴葉に包んだソラマメ餡のヨモギ餅。朝ご飯食べてなかったから、その場でぱくつきながら、タクシーを待つ。

伊勢神宮から熊野本宮に抜ける熊野古道があるに違いない、と調べたら、やはり伊勢市から熊野に抜ける「熊野古道伊勢路」があることがわかり、瀧原宮近くに、三瀬坂峠道というのがあるというので、行ってみた。落ち葉が積み重なった、古い山道。入口に祠があり、そこから三瀬坂峠を越えて多岐原神社方面へ抜ける道。時間の許す限り行ってみようと登りはじめたが、雨上がりでぬかるみに落ち葉が重なって、すべるすべる。急な坂もあり、これは峠越えは難しい、と判断。
でも少し上がると、湧き水のこんこんと湧く池があり、あまりの美しさに見惚れた。
澄んだ池に広がる湧き水の波紋、水草の間を泳ぐ魚、風の音、鳥たちのさえずり。
深呼吸。うつつよを忘れる別世界……。

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いや~よかったと戻ってきたら、タクシーの運転手さんが、タオルを出してきて「靴をふけ」という。ああ、車内を泥でよごされたくないんだなと思ったのだが、それだけではなかった。
「蛭がついてないかい?」
ひ、蛭?
靴や靴下に蛭がついてないか調べろ、と。
見てみると……「ぎゃあああああっ!」と叫んだ奈みほとまみ。案の定、奈みほの靴に、そしてまみの靴下に、山蛭が!!!
わ~蛭なんて見るのはじめて!と嬉々として写真に撮る奈々福、涙目の二人。

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幸い吸われる前でよかったが、タクシーの運転手さんありがとうございました。
それから多岐原神社にもお詣りして、また電車に揺られて伊勢市に戻り、宇治山田駅そばの大喜でお昼食べたあと、午後はたっぷりお稽古。
それにしても伊勢市。お昼は1000円以内、夜は1500円以内と予算を決めてお店を探しているのだが、いずこも、この予算内とは思えないハイクオリティの食事処。
夜は外宮前の豚捨で、牛丼とサラダ。

20日。ワーケーション六日目。実質的な最終日。名残惜しくてまた早起きして外宮。外宮の神様は食べ物の神様。「日別朝夕大御饌祭」が毎朝毎夕行われている。朝と夕の二度、御饌殿で御飯、御水、御塩などを内宮と外宮、別宮それぞれのご祭神に奉り、「国安かれ、民安かれ」との祈りと感謝を捧げるお祭りで、外宮御鎮座以来、約1500年間つづけられているとのこと。時刻に境内にいると、忌火屋殿で調理している煙が、古殿地に漂って朝もやみたいになっている。公開されていない儀式だが、待っていると神職の方々がそれを運ぶ様子がちょっと見える。
あらためて、外宮の境内は内宮と林相が違う。古木にもふもふと苔がつき、それに朝日がさしてきらきら光るのを楽しむ。
9時に外宮境内の「せんぐう館」が開くので同時に入る。
期待のはるか上を行く内容で、遷宮にまつわる、社殿の造営、そのための材料の調達、さまざまな宝物制作の製造過程、また神宮の神事の動画などが見られて、たぶん一日居ても飽きない。ここは必見。
お勉強していささか疲れたので……というより、行ってみたかったので!外宮前のカフェ、ダンデライオンへ。チョコレートのお店にカフェが併設されている。ホットチョコレートとスモア。お店の雰囲気もとてもよく、またチョコレートが、ちょっと酸味があってとってもおいしい!!! 産地別になっているチョコレート、包装紙もかわいく、ラッピング買い。

20220620_104655ダンデライオン

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そして最後の目的地、神宮徴古館へ。
駅前で電動アシスト付き自転車を借りて赴く。二日目にもこの自転車借りましたけれど、アシスト付きって、無双! どこまでも行ける気がする! 楽しい! で、あっという間に神宮徴古館。せんぐう館で予習した宝物を、ここで本物見られる、という感じ。

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お昼は、宇治山田駅近くの「菜食自然食 喜心」。オムレツなど、ほ、ほんとに菜食ですか、という食べ応えある美味しさで、充実のお昼。
午後は、びっちりお稽古。
入門してまだ三年と少しの二人。さまざまな場を経験し、いろいろなものを見つつ、毎日まとまった時間稽古ができて、とても貴重な機会だったと思う。弟子たちの道のりは厳しい。どこまで自分を追い込めるかは自分自身、何を目指すか、どういう芸でありたいか、それと今の自分を検証して進み方を考えていくのも自分自身。しかし、弟子に注意する言葉はすべて自分に帰ってくる。言うほどに、わが身に堪える。
なんという貴重な機会を、貴重な時間をいただいたことか。
夜は、打ち上げで、宇治山田駅裏の、居酒屋「げんこつ」。三日目にランチをしてすごくおいしかったお店。弟子たちにもお酒を許す。無濾過原酒四合瓶が空いた。

自宅用にお土産は、ダンデライオンのチョコと、播田屋さんの芋ようかん。

20220621_211844 ダンデライオンのチョコ

20220620_131544芋ようかん


ようかん、頂きもので食べてとっても美味しかったので。

21日最終日、東京で野暮用があり、早々に帰京せねばならない。名残惜しくて、ふだんは超不得手な早起きをして、外宮を参拝。伊勢、絶対再訪します。

ご飯記録。
15日昼、名古屋満載弁当を特急の中で。満載すぎて印象薄い。
15日夜、フレンチレストラン「ボンヴィヴァン」。忘れがたい、素晴らしいお店。

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16日朝、喫茶びあんかでフレンチトースト+コーヒー

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16日昼、いそべやで伊勢うどん。伊勢うどんへの偏見が払しょくされました。

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16日夜、虎丸でお刺身、サラダ、てこね寿司。おさかなのすばらしさ!

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17日昼、わいずでアジフライ定食。小鉢料理の店でしたが、たしかに、メインと小鉢のバランスがとってもよくて、楽しいランチ。

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17日夜、げんこつで鰆の西京焼き定食。鰆の厚み、漬物、肉じゃがなど小鉢とメインとのバランスのすばらしさ、白飯、味噌汁しみじみおいしかった。

20220617_184459げんこつ


18日昼、楽屋でお弁当。できたてほかほかありがとうございました!

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18日夜、美鈴でぎょうざとから揚げ。大繁盛のお店。働く様子を見ていて気持ちいい。


19日昼、大喜でにぎり寿司。吸い物の海老真丈のぷりぷりにびっくり、おさかなも卵焼きも、かっぱ巻きかと思ったら穴キュウだったことも……1100円でこのクオリティ???とびっくり

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19日夜、豚ステで牛丼とサラダ。牛肉てりてり~。

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20日昼、菜食喜心でランチ定食。菜食と思えない充実ぶり。見た目も美しく、楽しい。オムレツが芋と豆だけれど、まさにオムレツだったし。

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20日夜、げんこつで打ち上げ。にし貝という地元の貝を酢味噌で食べました。おいしかった。

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「ボンヴィヴァン」でもらったチラシに「地産地消の店一覧」があり、伊勢はどこの店も地産地消を旨としているのかとボンヴィヴァンの河瀬シェフにうかがったら、
「地元のものを大切に考える気持ちは市内の各スーパーの陳列にまで行き渡っています。もう一方では、野菜の種などを販売する大手園芸店農業屋が飲食店向けに三重県内の生産者の食材を紹介し、一手に注文を受けて各店舗個別に梱包し自社の運送ルートを生かして一ヶ所の園芸店に運ばれる。
僕たちはその冷蔵庫を開けてレジに並ばす持ち去るだけです。
もちろん送料は無料にしてくれます」
とのこと。なんと、すばらしいシステム。
伊勢はおいしい。ほんとに、七日間、入ったお店すべて、大当たりでした。


玉川 奈々福(Tamagawa Nanafuku) 浪曲師/曲師

https://7729.jp/

【滞在期間】2022年6月15日〜6月21日

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)