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猿田彦に恋をして~帰国子女が猿田彦神社に出会うまでと、それから~

初めて伊勢を訪れたのは15年以上前だったと思う。11歳で渡米し、高校卒業までの期間をアメリカ・カリフォルニア州で過ごした自分にとって、日本に帰国してから現在に至るまで、“日本文化の再発掘”がライフワークになっている。いわゆる思春期をアメリカで過ごすことで、無意識のうちに突きつけられていた日本人って何者?という問い。その答えが自分の中になかったことが日本への帰国を決意した大きな動機だった。ちなみに補足しておくと、決してアメリカでの生活が性に合わなかったわけではない。むしろ比較的、満喫していた方だと思う。現地のクラスメートたちに英語力で敵わなくとも、スポーツや絵を描くことなどで友人はたくさんできたし、高校を卒業する頃には(自分で言うのもなんだが)“口数は少ないが目立つやつ”という部類に属していた。そのため、現地の友人たちにとって自分が“初めての日本人の友達”になることが多かった。だからこそよく日本のことを聞かれたのだ。そしてその都度、「ummm, I don’t know」とか「maybe」とか、曖昧な答えしかできなかった。それが悔しい、というか、むなしかったのだ。

知人に言われた「Go Ise, Young Man.」

大学入学と同時に日本に帰国し、学生生活、就職、社会人生活など目まぐるしく日々が過ぎていった。それなりに充実した時間を送りながらも、心のどこかで、日本人としてのアイデンティティを自分なりに定義したい、という欲求がずっとへばりついていた気がする。社会人生活も少し落ち着いてきた頃、知人から受けたのが「まずは伊勢に行け」というアドバイスだった。

“日本の心がある”、“神が宿る”、そして江戸時代には国民のほとんどが“一生に一度は行きたい”と思われていた街、伊勢。その象徴的な存在である伊勢神宮は、日本国民の総氏神と称されている。なるほど。百聞は一見にしかず。とりあえず、まずは行ってみよう。それが15年ほど前だった。

ちなみに、帰国子女を理由にするつもりはないが、英語も日本語も、聞く・話すは得意だが、読む・書くは苦手だ(編集者としては致命的なのだが)。中高をアメリカで過ごしたので、“古文”なんて授業を受けたこともなく、『古事記』という存在は知っているが、手に取ったことは一度もない。じゃあまず読めよ、と思うのもごもっとも。でもまずは感覚を大事にしたい(言い訳)。実際そうやって生き抜いてきた経験から、まずは自分で体感し、解釈し、自分の中で合点がいくポイントを見つけること。それが自分なりの“日本文化の再発掘”のルールである。

アミューズメントタウンが織りなす浮遊感

話を伊勢に戻そう。初めて伊勢市駅に降り立ったとき、駅前は現在ほど綺麗ではなかった気がするが、外宮への参道があったため、改札を出た瞬間から、神々の街感というか、足を踏み入れた感というか、一種のエンターテイメント感、パッケージ感があった気がする。比較対象としてはどうかと思われるかもしれないが、大きいディズニーランドのような印象だった。エントランスを潜れば、そこは全て夢の国。建物も食べ物も、トイレですら現実世界とは一線を画した世界観。それによる浮遊感が人を没頭させるのだ。

そんな伊勢特有の浮遊感に包まれれば、目に飛び込んでくる緑や山々、広い空と趣のある建物が、神の気配を感じさせてくれる。そんな雰囲気が、この街にはある気がする。

そして外宮を巡り、神宮会館に宿泊し、翌朝早朝に内宮を参拝した。神社の規模、自然、そして奥ゆかしさ、さらにはおかげ横丁のような演出も含め、日本の歴史である“神話”の世界観を維持し続けているアミューズメントタウンがある。それを実感できただけでも、自分としてはかなりの収穫だった。

だいぶ前段が長くなってしまったが、そして本題である猿田彦神社に出会うのである。内宮を参拝し、赤福本店で餅を食べ終わった後、次はどうしようかなと思っていた時に、徒歩圏内で行ける神社が猿田彦神社だった。「猿?行く!」と。

きっかけは”猿”だった

個人的に、名前から受けるインスピレーションを大切にしている。猿田彦と聞いて、直感的に行こうと思ったきっかけは(安直ではあるのだが)自分が申年だからだ。さらに、幼い頃からひょろひょろ体型だったこともあり「お猿さんみたい」と言われ続けてきた。その上、アメリカ生活ではよく外人の友達たちと自虐的なギャグを言い合う際、“Yellow Monkey”という表現はよく使っていた。また、自分たちの年代は“一人でいる時は愛嬌があるが、群れるとタチが悪い”という猿っぽい特性を持ち合わせた世代だと勝手に思っている(偏見だが)。まあなんであれ、人並み以上に“猿”という単語には反応してしまうのだ。

そして聞けば、“みちひらき”の神様ときた。物事の始まりに現れ、もしくは迷った時に、良い方向へ導いてくれる神様。同時に土地を開いた開拓の神様でもある。ナビゲーターであり、パイオニア。自分が過ごしたアメリカ西海岸には「Go West, Young Man」という名フレーズがあり、これはアメリカのゴールドラッシュ時代、夢を求めてアメリカ西部を開拓する者たちの(歴史的には光と影があるのだが)パイオニア精神を象徴する言葉である。そういう価値観とも共鳴した。

芸能・スポーツなど、非言語コミュニケーションまで

同時に芸能の神様でもあり、縁結びの神様でもあるという(実際は佐瑠女神社だったのだが)。太陽の神様である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の悪戯に心を痛め天岩戸に身を隠す、という神話は帰国子女の自分でも知っていた。太陽の神様がいなくなった世の中は真っ暗になり、困った八百万の神々は、岩戸の前でどんちゃん騒ぎ(言葉が不適切かもしれないが)することで、天照大御神が気になって出てくる、というお話。日本版、『北風と太陽』的なストーリーとしてよく覚えていた。その時に舞を披露したのが、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、後の猿女君/佐瑠女(さるめのきみ)である。

アメリカ生活で、表現することや、非言語コミュニケーションで生き抜いてきた自分にとって、運命を感じ、恋に落ちるには十分すぎる条件だった。

それからというもの、勝手なシンパシーに身を委ね、一方的に猿田彦への愛を育んでいった。余談ではあるが、2011年に恵比寿に誕生した猿田彦珈琲も、当時恵比寿界隈に頻繁に出没していた自分にとっては同じシンパシーの対象となり、よく通った(まさかここまで大きくなるとは思ってなかったが)。

伊勢に1週間滞在することで深まった愛

そんなこんなで現在に至るまで、幾度となく伊勢市、そして猿田彦神社には通い続けている。人生のターニングポイントや何か新しいことを始める時、コロナ禍でも東京から弾丸日帰りで御祈祷しに行ったこともあった。そして今回、幸運にも『伊勢市クリエイターズ・ワーケーション』のメンバーとして選出され、1週間滞在し、毎朝、外宮→内宮→猿田彦神社を参拝するという時間を過ごした。

さらに伊勢市役所の皆様のご協力のもと、猿田彦神社の方にお話を伺う機会もいただけた。これまでの伊勢滞在は長くとも2泊程度だったので、今回は普段気になっていたけど行けなかった場所や人や食事処に行けた。その内容をシェアしたいと思う。

まずはサクッと猿田彦大神ダイジェスト

猿田彦大神といえば、まず出てくるのが『天孫降臨』である。もともと天上界の神と地上界の神がいて、天上界の天照大御神が地上界を治めるために、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に送ったという神話である。その際、地上の神の代表として案内人を買って出たのが猿田彦大神。天上界と地上界の間にある難所、天八衢(あまのやちまた)で待っていたところ、猿田彦大神の容姿が天上の神々からしたら恐ろしい姿だった(猿田彦大神は天狗の祖先とも言われている)ため、たじろぐ天上神たち。その際、猿田彦大神に「あなた、何者?」と歩み寄ったのが天上神御一行の一員だった天宇受売命だった。

天宇受売命は相当なやり手だった

その後、瓊瓊杵尊御一行を高千穂にお連れした後、猿田彦大神は地元の伊勢に戻り、国を開拓。その際、天上神メンバーであった天宇受売命も猿田彦大神とともに伊勢に残り、瓊瓊杵尊より新たに猿女君という名をもらい、地上の神となった。古事記の中では明確に“結婚した”とは記載されていないそうだが、天上の神から地上の神になり、名前も変わったということは、まあそういうことだよね、と。それもあり、天上神と地上神の間を持った、ということで猿田彦大神とともに縁結びの神としても崇められているのだ。ちなみに、前述の天八衢で初めて猿田彦大神と対面する際、たじろぐ天上神たちをよそに、天宇受売命は自らアプローチ。やりよるな、天宇受売命。それもそのはず、天岩戸で神楽を舞った一件もあり、天照大御神からも絶大な信頼を寄せられていたのだ。その功績もあり、天照大御神から、大切な孫(瓊瓊杵尊)が地上に降臨する際の付き添い役という大役を任せられたのだ。天上神として残れば、そのまま出世街道まっしぐらだったろうに、スパッと地上神になるってところも清々しくてかっこいい。

猿田彦大神は、地の神でもあり、海の神でもある

猿田彦大神は謎の多い神(そもそも神話が謎だらけ)で、その最後は海で貝に噛まれ泡になってしまうというもの。しかし泡になって海に消えていった後は、そのまま海の守り神になったという説もあるらしい。そのことから、猿田彦神社は海の安全や漁業の安全を祈願する風習が現在でも残っている。ナビゲーターであり、パイオニアであり、地の神でもあり、海の神でもある。地上界の神としては、もはや最強なんじゃないか?と思ったりもする。

現在も続く、宇治土公(うじとこ)家の血筋

国の歴史を辿ると神話になっちゃう。そんな国、他にない。物語と実話の境界線が曖昧で、それを国民レベルで共有している。これは、ものすごくロマンチックなことだと思う。間違いなく、日本が世界に誇るべき文化のひとつだ。

猿田彦関連で、そのロマンを感じざるを得ないのが宇治土公(うじとこ)家の存在だ。宇治土公家は現在も猿田彦神社の宮司を務める一族で、ズバリ、猿田彦大神の御裔(みすえ:神の子孫のこと)なのだ。正確には、猿田彦大神の御裔である大田命(おおたのみこと)の御裔にあたる。この大田命は、猿田彦大神の時代から時は下り、第十一代垂仁天皇の娘、倭姫命(やまとひめのみこと)が神宮御鎮座の地を探していたときに、猿田彦大神以降、守り続けてきた五十鈴川の上流(現在の伊勢)を献上した。それが皇大神宮(内宮)が伊勢に創建された経緯だと伝えられている(ここでもナビゲーターしてる)。そもそも、そういう内宮との深いつながりがあった宇治土公家は、もともと内宮で重要な役割を担う一族だったそう。その後、猿田彦神社を開くのだが、現在猿田彦神社がある場所は、宇治土公家のお屋敷があった場所。なるほど、内宮に物理的に近い理由が理解できた。

坂の上にある伊藤小坡美術館

猿田彦神社の脇にある坂を少し上がったところにあるのが日本画家、伊藤小坡の美術館。この伊藤小坡は猿田彦神社宮司、宇治土公家の生まれ。本名は宇治土公さと。そう、猿田彦大神の御裔になるのだ。そして彼女は、明治・大正・昭和の日本美人画の流れを牽引したキーパーソンの一人でもある。絵やアートが好きな自分にとって、もともと「美人画」は好きなジャンルの一つだったが、そんなサラブレッドが近代日本画の発展に寄与していると知ったら、それはそれは感慨深いのだ。美術館には伊藤小坡による様々な神話をモチーフにした絵が飾られている。その中には猿田彦大神の絵もあるのだ。一見の価値あり。猿田彦神社に足を運ぶことがあれば、ぜひ立ち寄って欲しい場所だ。

猿田彦神社の向かいにあるVWの旧車ショップ

そして今回、長年の個人的な“気になる”を解消できたのが、猿田彦神社の向かいにあるVW(フォルクスワーゲン)の旧車専門ショップ、OHV Customsに伺えたとこだ。猿田彦神社はみちひらきの神様、ということで交通安全や新車のお祓いなども有名だが、そんな猿田彦神社の目の前で、ドイツ生まれ・アメリカ育ちのVW、しかも旧車ショップというコンビネーションに、カリフォルニア育ちの帰国子女の心は毎度鷲掴みされていた。しかし、毎回、猿田彦神社を参拝するのは早朝が多かったため、ショップが空いているところを見たことがなかった。
今回の滞在で、改めてショップが開いているであろう午後に伺い、店主の小山さんともお話することができた。

聞くと猿田彦さんとの関係はないものの、もともと地元の方で、この事業を初めて27年。「そんなの続かないだろう」と周囲には言われ続けたが、なんとかここまでやってこれた、と笑う。お客は県外の方がほとんどだそう。物好きが高じて、ここまで続けられてきたが、流石にこの先はわからない、と。いや、古いものは残り続ける。旧車好きとしては、猿田彦神社を訪れる際の風物詩の一つでもあるので、勝手を言うようだが、ぜひ今後も頑張って欲しいと思う。

現在進行形の物語を紡ぐ一員として

今回の経験でさらに猿田彦神社への愛は深まった。その1番の要因はやはり実際に人に会い、ゆっくり話を聞くことができたからだろう。文献を読めば、知識は習得できる。しかし、実感値は伴わない。一方、その場に行き、自分なりに感じたインスピレーションを、自分なりに定義する。そうすることで合点がいくことがたくさんあるのだ。

下記は伊藤小坡美術館の入り口に飾られている文章の引用である。

『どんな国、どこの町にも、人々の歴史があり、日々の暮らしがあり、誇りがあり願いがあり、表現があります。
ここで生まれた物、この地に関係する作品をご覧になり、また眼前の風景にゆったりと触れて頂くことによって、伊勢のことがよく分かって頂けるのではないか、と思います。』


文化は誰も教えてくれない。というよりも、それは教えてもらうものではなく、人々の日々の生活であり、営みであり、そこから根付き、育まれる価値観であり、物語なのだ。その物語から、何を感じ、何を学ぶかは人それぞれだ。

猿田彦に恋をして、観光客として、帰国子女として、編集者として、日本人として、“合点がいく”ことがたくさんあった。それこそが学びなのだ。また戻ってこよう。

最後に、このような機会を与えてくれた伊勢市役所の皆様、そして現地でお会いした皆様に感謝したい。ありがとうございました。引き続き、勝手に猿田彦への愛、そして伊勢への愛を育み続けますが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

引地 海(Hikiji Kai) 編集者/メディアクリエイター

https://kaihikiji.com/

【滞在期間】2023年2月26日〜3月5日

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)