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慮さんへ

こんにちは、高等学院出身の四年生です。
コメントを書こうとしたらクソ長文章になってしまったのですが、書いたものは共有したいのでいっそ記事にしました。どうしたら本人が読んでくれるでしょうか?一応元の記事を共有という形をとってみます。


記事を読む中で個人的に思うことが2つあったの以下に内容を記します。大した内容では無い上に推敲してないので読みにくいと思います。エゴとしては読んでいただきたくはありますが、ぜんぜん無視していただいておけです。


①就活は富裕層の再生産装置であるか?


 結論から言えばそうだと思います。自分もつい最近まで就活をしていたので経験的に語ることができますが、やはり経済的に恵まれている家庭の子息ほど給与体系の良い会社へと就職していく傾向があると思います。付け加えて言えば、従来的な就活をしない選択をする人も内部生の友人には一定数いました。具体的には実家を継ぐ(または継ぐことを前提に会社を選ぶ)や、2,3年の途中から大学を休退学して海外大編入をしたり、海外で働き始める人などです。医大に行った人もいました。

 このような選択肢が生ずる要因は”実家の太さ”に他ならないでしょう。経済的支援もあると思いますし、そういうルートが見える視座も家庭環境の影響を無視できません。このように冷めた目で就活を俯瞰すること自体は、その意義を一旦置いておくとして可能だと思います。

 また運動部や帰国子女が就職活動に有利というのも事実でしょう。ただあくまでそれは部活動や帰国子女というデモグラに該当する個々人の経験や能力が新卒社会人に求められる像と合致するケースが比較的多いというだけで、そう簡単な話でもありません。彼らも彼らなりの悩みがあり、問題に苛まれ、その都度乗り越える強さを要求されます。ですから簡単に就活強者とラベリングするのは思考を停止させている行為かと思います。

 見たところによるとあなたにはまだ大学生活の期間が半分以上残っていると思います。ぜひ趣味や特技を見つけて突き抜けてください。無責任なアドバイスですがこればかりは能動的に行動することを要求されるため私には具体的な声掛けが叶いません。

 趣味や特技に打ち込む時間としての大学生には2つの意義があります。ひとつは仮に社会人となりレールに乗って65-70歳の定年まで直進するとすれば、精力的に自分の好きに打ち込むまとまった時間をとれるのは大学生だけであるという点です。そしてもうひとつは、そういう”突き抜け方”のなかに昨今の就活生に求められる力があると言えるためです。趣味や特技を通じて就活強者になれるとは断言できませんが、ただ打ち込むことを羅針盤として行動することが、結果的に今あなたの中にあるモヤモヤとした気持ちを軽減させる可能性があると思います。

 上から目線で物事をしゃべって申し訳ありません。就活のこととなるとついお熱になっちゃうのは、私が何にも考えずに就活に突進していったためだと思います。自分の経験を誰かにぶつけておきたいというエゴイズムの表出を許してください。


②人生に勝ちも負けもない


 就活ついでに少し長い自分語りをします。許してください。

 私は高校受験を経て早稲田へ入学しました。当時、勉強が好きでも得意でもなかった私は高大と2回も受験をする未来像が全く見えず、付属校という選択肢を知って以来、私立へ進学させてもらえるように両親に懇願する毎日を送っていました。高等学院を選んだ理由も実は特になくて、箱根駅伝で見たことがある大学がいいと思っていたので青山学院なども受験しました。そんなこんなで受験をして、偶然ギリギリ合格をいただいたのですが、その後も頭の足りなさが露呈しまくり「イケてる」からという理由から早稲田ではなく青学へ進学しようとしました。しかし両親に強引に説得され、結局早稲田に進学することになりました。私は早稲田7年目ですが正直早稲田への愛校心なんていうものは皆無ですし、今でも青学がよかったなと思う時があります。

 ただこんな私も高校に入学すると同輩の学歴厨仕草に辟易することになります。学院は慶應落ち、進学校落ちが一定数いるのですが彼らはそのことに少なくないコンプレックスを抱えていました。それも入学後少し経つと見えなくなりましたが、私にとって漠然と”頭のいい学校”だった学院の中にもそういった形でコンプレックスをもつ人がいることは大きなサプライズ(というよりショック)でした。

 さて、与太はこの辺りにして話を本筋へと展開しますが、私が早稲田に7年通っていて思うことは、「早大生はみな何らかのコンプレックスを持っている」ということです。ある人は、私にとってはとっても些細なところにモヤを抱えていたり、逆も然りで私の中にあるコンプレックスも他者には理解されないものだと解釈しています。

 ここで私が述べたいのは、私たちはそういう人々に囲まれて学生生活をしているのですから、コンプレックスの通底に日々うっすら晒されて生活しているわけです。構造的に、ひょんなことがきっかけとなって自分の中の悩みや嫌なことが溢れ出してしまう可能性のある場所、それが大学だと思っています。

 コンプレックスというのは往々にして他者との比較の中に生まれます。比較というのは相対的もしくは絶対的に「いい」か「わるい」かで物事を評価することです。しかし前提、世の中に存在する事物を二元論で説明することは簡単なことではありません。高学歴、高収入、就活強者、いろいろな”成功モデル”があるように見えますけど、そんなに人生って簡単でも単純でもないと思います。ひとつひとつは場面によっては正しく理にかなっているものもあるでしょうし、私たちは弱いから正しさに巻かれたくなりますけど、私が思うのは”人生そんなに甘くねえよ”ということです。
 帰国子女で伊藤忠商事に内定したけど酔っ払いの車に跳ねられたら「はいさよなら」です。これのどこが成功なんでしょうか。世の中は学歴じゃないし就職じゃない、一面が過剰に評価される傾向を否定することはできないけれど、だからといって自分までそれに流されてクライテリアを構築する必要はないと思います。

 冗長になってしまいましたが、結論から言えば、大学はその実うっすら鬱の人の集まりで、彼らのコンプレックスや価値基準の中心にある二元論的な考え方に被爆しやすい環境だけれど、「人生に勝ち負けなんかない」ってのはちゃんとわかっとくべきということです。なまじ私たちは学歴という物差しでは権威の側に立っているから、自分を誇大評価してしまいたくなるけど、みんなちっぽけな人間ですよ。特に私は、あなたの綺麗なコメント欄にぐちゃぐちゃ書き込んで荒らしてしまうようなみにっちい人間です。(しかも文字数多すぎて書き込みさえできなかった!!!!)でもそれなりに哲学して生きています。くるしいけど、でも私も生きてます。だから手持ちの尺度で全てを測れるとは思わないことです(これは自戒でもあります)


おわりに

普通コメント書いてたら2700字とかにならないですよね、頭のおかしい先輩でごめんなさい。頑張って生きような‼️

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