エウレカ

https://twitter.com/mamaaaau/status/1175327196367376384

 このツイートのおかげで、今までの人生のモヤモヤが色々と整理された。
気づかせてくれてありがとうございます。

自分は2016年~2018年くらいにかけてTwitter論客を毎日のように観察して、社会について調べた。考えたり議論したりしたけども、話にならない人間が増えてやる気がなくなってきた。
一番勢いに乗ってたときのTwitter論客らは、まさに「見かけたもの全てにモデルガンを打ち込んで突撃して突然サバゲーを始める人」だったと思う。さすがに自分もどうかと思ってドン引きした。いや難癖切り込み隊長すぎでしょ、と。歴史は繰り返す。ソクラテス。


帰納と演繹と展開する。

自分は某作品を引き合いに出して軽く炎上したことがあった。そのときの流れは、
1. そもそも自分は現代の世相(若い人の志向の傾向)について論じたものだった。その一例として作品を挙げたに過ぎず、挙げられた作品自体は条件を満たしていれば何でもよく、当てはまるものは多数あるから、「特定作品の具体的内容云々」は論旨ではなかった。
2.それに対して論旨と無関係な枝葉部分、つまり「作品を貶めるとは何事だ」と難癖つけるイナゴが現れた。
3.イナゴに対して、言葉のあやを修正して詳細な議論の文章を自分でtogetterにまとめた
4.効果は無かった。

という流れかと思う。いま見直すと。
なぜ効果がなかったかというと、やってきた人には「世相についての議論をしたい人が居なかった」からだ。だから噛み合わなかった。自分の論旨を読み取って、その話題に乗ってくれる人が少なかったのが悲しかったし困惑した。ただただ「作品を貶めるとは何事だ」しか見えていないようだった。そもそも論旨を読んでもらえれば貶めてるわけでもないのですが。もらい事故ですね。
この出来事が、自分がTwitterで議論やるのはもうやめようと思った決定的な出来事だった。それ以前からも、Twitterで議論できない人間が増えてるのは感じてはいたのですが。
その後も、この件とは無関係で、私の論旨と同じ話題でより考察を深めている場はちょくちょく見かけて羨ましくなるし、俺もその話題してえんだよな、相手がいないけど。ってなった。


 友達に、自分はまじめな話をしているのに茶化されてしまってシラける。みたいなことがたまにある。話の「温度感」がミスマッチしちゃったのか。
その話は解決型か共感型か」、みたいな話題はよくあるけど。それでいうと「自分は問題提起と解決模索の話をしているつもり」なのに、相手がそれに乗ってくれずに冗談で茶化された、という感じ。
議論型の話をしませんか?と交渉をすること自体は悪くないし、したくないやと拒否されることもあるわけだわな。ナンパみたいなモン。温度感のすり合わせ。

増田(はてな匿名ダイアリー)を見ていてもこの流れは時々ある。元増田(話題を一番初めにした人)とはズレた話を始める人たちが割といる。「そんなことより野球しようぜ」みたいに。まあブレインストーミングだと思えば悪くはないのですが、議論だと思うとネガティブな行為。


 自分が議論したいときに、茶化さず論旨に沿って議論に乗ってくれる相手が居なくて寂しいんですよね。そういった相手にあまり恵まれない人生だった。なんかそういう会合というか、大学サークルみたいなのが欲しいんでしょうね。自分は。やがて、そもそもの「議論しませんか?」という交渉すらしなくなっていった。


「議論がちゃんとしてれば解決できていたであろう問題が、解決されないまま顕在化してしまった。ほれみたことか!言わんこっちゃない」ということもあるでしょう。
たとえば、2011年より以前の、福島第一原発の非常電源についてとか。
毎年の健康診断を受けずにいたら深刻な病気になってた、みたいな。
防災、治水の費用を削ったら豪雨で被害が大きくなった、ような。

真面目に議論をして問題を解決しなければならない、その責を負っている者たちが集まる場だというのにも関わらず、真面目に議論しない。それが国会だったり都道府県の議会だったりする。あるいは社会的影響の大きい大企業だったりする。
支持する有権者がそもそもまじめに議論してなかったり、議論したくとも余裕もないのだから仕方がない。自分の面倒を見るので精いっぱいで、社会の面倒を見る余裕が無い。
だからマズイんだよなぁ。

「議論をちゃんとする」
「議論をしたくない人に強制をしない」
「議論してる人や場にウンコ投げない」

そういうのキチンとした世の中であってほしいですね。
TPOって難しいですね。
程遠いですが。