ガチ恋オタク、悲しみの「負の婚活」

こんな増田を見かけた。

精神病の当事者による優生主義の主張を見ると辛い https://anond.hatelabo.jp/20191229232736

自らの属性に対するヘイトをしているようなもので。自分のような属性なんて生まれてこなければよかった。と・・・。


本題に入ろう。

気に入った人や好きになった人には、幸せでいてほしい。でも、自分はキモオタなので、自分なんかよりも幸せにしてくれる人や物がきっとあるから、その席を譲ろう。

そういうメンタリティになってしまうんですよね。でも自分にできる限りの応援、足しになるであろうことはするのですけれども。

自由な時代だから、もっといい選択があるはずと考えるわけです。婚活と同じですね、「もっと良い人がいるはず」。そして自分自身はその「もっといい選択」からは外れるわけです。そりゃあ市場なので序列化されるわけじゃないですか、主に年収で。自分よりも上の選択がいくらでもあるわけでして。数は少なくなりますが。

それに現代はおじさんへの迫害が正当化され無罪とされていますので、その当事者としては「自分は社会的に正しくない属性なのか」との思いを困惑しながらも徐々に内面化してしまっているのかと思います。無意識に。

自分のランキング順位を把握してしまっているからこそ。あなたのような素敵な高ランクは、僕のような低ランクにはもったいない。序列、ランキングの中の自分の位置が把握できているのだから、好きな人にはもっとランキング上位のものが適切でしょう。

婚活相談所もそうするじゃないですか、「お前にはこいつがお似合いだ」みたいなランク合わせを。
スプ●トゥーン2だってプレイヤーの実力を計測して、だいたい釣り合うようにオンラインマッチングしています。だからそれなりに「いい勝負」が成立するので面白いわけです。勝負にならないほどの実力差がマッチングしてしまったら面白くないですからね(たまにありますが)。
争いは同じレベル同士の者でしか発生しない🦘🦘・・・

これを比喩するなれば、「負の婚活」とでも言うべきでしょうか。
「俺が幸せにしてやるから俺と結婚してくれ」ではなく、
「俺よりも幸せにしてくれる人をみつけてくれ」

なぜなら、相手が本当に好きで大切で幸せになってほしいからです。これは謙遜でもなく、実際のところそうだと思う・・・。やさしさの形なわけです。

(本当の気持ちと向き合えますか?)

思い出してくださいよ偉い人が言ってたじゃないですか、

「黙れ小僧!お前にサンが救えるのか」

自信がない。
自分にサンは救えそうにない。

これが、自由と競争の支配する恋愛市場に恐れおののき、低見の見物する、いちオタクのメンタルなのです。

※個人のメンタルです



エロマンガ業界に「孕ませ」というジャンルがあります。わりと新興ジャンルな気がします(あまり歴史を知らないですが)。それはアルファオスであることの誇示をしたいという欲求なのでは?との分析がなされていたりもします。「俺はその辺の雑魚なオスとは違う、トップオスだ」と。それは、1対1でなく1対多のマウンティングにも見えます。結婚できない人が増えた時代なので、結婚すること自体がマウンティングになり得るからです。

同じくエロマンガに「寝取り」「寝取られ」というジャンルがあるのですが、「寝取り」は「孕ませ」に近い欲求に見えますが、「寝取られ」はよくわからず、それを愛好するメンタルもあまりよくわからないのですが(M方面?)、もしかするとそれが「負の婚活」に似たものなのかもしれない。

負の婚活、あるいは、利他的な遺伝子。