サハラ砂漠マラソン(レース編)Marathon Des Sables
目標はとにかく自分の限界を試す事。
きっと今が自分の体力の全盛期。
どこまで出来るのか試してみたかった。
3月25日にパリを発ちモロッコ入り、
早速砂漠でのテント生活が始まる。
26日もテントで過ごしつつ、メディカルチェック等が行われる。
空き時間も多く、テントでトランプしながら過ごしたり。
今までの人生で一番楽しい大貧民だったなぁ🤣
皆んな本当に素敵な人達ばかり😁
ただ夜は5℃を下回るような寒さで快眠とはいかず、寒さ対策に隙があったことを後悔。。
砂漠が寒いなんて知らなかったよ、、、笑
そして、いよいよ、3月27日!
レースがスタート!
写真で観てたスタートラインが今は自分の目の前にあり、
気持ち昂ったなぁ😆
第一ステージは32km。
何もかもが未知だったのでまずは様子見と思いつつも、高揚感のなか自ずととペース爆上がり🤣
けど試行錯誤して準備したバックパックは、これではダメだとすぐに気付かされる。
中に入りきらない荷物を外にぶら下げてたのだが、足場の悪い中を走るのに揺れる物があるとダメですね。。。
けど中々の高順位で初日は終えることが出来ました✨体調も悪くないし、体へのダメージもほぼ無く、バックパックを工夫すれば次はもう少しペースを上げられるかも♪
けど、そんな油断が2日目のアクシデントを巻き起こしたのかも、、
第二ステージは38km
最後は山越えもある難所ステージ。
前夜に食料や装備を断捨離し、バックパックの作り方も改めてのスタート。
体調も頗る良く、スタート後から足も軽い。
快調に走る中、砂丘エリアに入ると砂嵐に見舞われました。
数十メートル先が見えないような視界の中、ただただ前のランナーの足を追いかけて走りました。
15km付近からペースが同じイギリス人の2人と話しながら進む。
何でサハラに申し込んだの?とか3人の夢とかを話しながら。
そしたら2人とも一切曇り気のない眼差しで自分の夢の話を聞いてくれて、満面の笑みで返してくれて、
ふと周りを見回した時に、あぁそうか。こんな過酷な環境で同じ一つのゴールを目指して走ってるこの人達は皆んな、こういう話を一切笑わない人達なんだなぁと気付かされた。
そしたらさ、
自ずと涙が溢れてきて、
凄い幸せを実感して、
ここに来て良かったぁなんて考えてしまって、
謎に16km〜18kmまで止まらない涙を流しながら走ってしまった😂
人生であんな風に幸せを噛み締めたの初めてだったかも、、、
ここに来て本当に良かったと思ったぁ。
無意識にペースも上がるよね😅
きっとここで涙と一緒に塩分を放出し過ぎたのだろう。。
後でドクターに言われたのが、気温は高いのに砂嵐でそれを実感出来ずに水分補給を怠ったのだろうと。
30km付近から急に吐き気に見舞われ嘔吐を繰り返すようになる。過去の人の体験談で同じような症状を聞いていたので、いよいよサハラ砂漠の洗礼が来たなぁと気持ちは前を向いていたのだが、砂丘一つ越えるのにも時間を要するようになる。
たくさんの選手が心配して声を掛けてくれた。
あなたは強い!とか、絶対ゴールできるよ!とか。自分のジェルを分けてくれる人もいて、歩いてでも良いから取り敢えずゴールに辿り着こうとペースを落とす。
けどまた嘔吐している時に近くにいたドクターに手を取られ、一度体温を測らせてと道を外れると39.0℃の熱が😵💫
熱中症からの嘔吐で脱水症状になってたみたいで😂
最後の山越えは熱が下がらないと行かせられないって。リタイアは絶対しないって言ったら、結局4時間近く砂嵐の中一緒にいてくれた。
感謝だなぁ、
点滴も打ってもらったけど、どうしても熱が下がらなくて、いよいよ日が暮れ出した時に、ドクターストップをかけられてしまった。
さっきの嬉し涙とは一転、悔し涙が止まらない😂
最後に泣いたのなんていつだろうって感じだったのに、サハラは涙腺が緩むのかなぁ。
気持ちは切れてないのに目の前のあの山を登れない。悔しいけど受け入れないと。
泣きながら誓ったよね、絶対リベンジ。
程なくしてピックアップの車が来て、サハラ挑戦がここに終わる。
何よりも応援してくれた人たちに申し訳なくて涙が止まらなかったぁ
ここでもちゃんと誓おう、絶対リベンジ。
ただ見えていなかっただけで、扉を開いてみたら、自分の限界なんてすぐそこにあった。
もう絶対負けない。
黒田修司、
サハラ砂漠マラソンへの挑戦、
ここに終わる
泣きまくりな1日だったなぁ。。
ずっとお世話してくれたドクターとパシャ。
帯同してる60人のドクターは皆んなボランティアなんだよ。とことこん素敵な人たちで成り立ってるレースだよね🥲
レースを通じて感じた事は次の記事でまとめます🙂
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