見出し画像

暑い夏と辛いカレー

暑い夏

雨が降り続き、寒かった7月とは打って変わって、8月になると猛暑が東京を襲う2020年の夏。ネット上では、この猛暑のなかオリンピックをやることになっていたとは何とクレイジーな、という発言も目立つ。

そう、ホントならオリンピックの真っ最中だったんだ。

私は前回の東京オリンピックのとき、4歳だったので、わずかな記憶があるが、そのときは10月開催だった。

ただ、私が生きた昭和30〜40年代、日本の真夏は今ほど暑くなかった…と、思う。データ上は地球温暖化の影響で緩やかに上がり続けてはいるが、それでも最近の暑さは尋常ではない。

なぜなら、私の小学生時代、家にはエアコンどころか、扇風機すらなかった。夏休みの昼間は、部屋の窓を開けて、それで生きていた。

だから、今のように暑くなかったはずじゃないか。

いやいや、そうではなくて、昔の記憶が曖昧なだけではないだろうか。どこにでもエアコンがある生活に慣れ、熱中症という命の危険を脅かす疾患が注目されたせいで暑さに敏感になっただけかも知れない。

UVカットという概念すら無く、日に当たると身体に良いとまでされていた、その昭和の夏に今タイムワープできるわけではないので、比較のしようがない。

アジャンタ

汗だくになるにもかかわらず、暑いと辛いカレーが食べたくなる。

猛暑日だった2020年の終戦記念日に、私より年上の老舗インド料理店、麹町の「アジャンタ」を初めて訪れた。さすがは伝統ある一流店。フェイスガードをした店員さんが運んでくれたカレーは極上そのものだった。

ウェブサイトに店の歴史が詳しく書かれているが、私が生まれる前の1957年に阿佐ヶ谷でカレーと珈琲の店を始め、1961年に九段に純インド料理店をオープンしたとある。

靖国神社の真ん前の三角地帯。何と、ついこの間まで通っていた仕事場がそこにあることと、終戦記念日に靖国神社前で、さまざまなイデオロギーの人たちが抗議活動をしているのを思い出し、不思議な縁を感じた。

ボンベイ

さて、私にとってのカレーの原体験は、千葉県の柏にある「ボンベイ」という店だった。私が通った東葛飾高校、略称・東葛(とうかつ)高校から柏駅への帰り道、今はもう無い、開かずの踏切の向こうにその店はあった。

激辛のカレーがあるんだよ、それを平らげることができたらスゴイぜ。

そんな軽い口コミから、東葛生の間に広まる起爆剤となったのが、カシミールカレー。

東京に一人暮らしを始めるようになって、そのボンベイとは縁遠くなってしまった時期があったが、数年経って訪れたとき「あなた、高校のときに眼鏡かけてたわよね」と言われ、あの生徒たちの顔をひとりひとり覚えてたのか、と感動したのをよく覚えている。

さて、その柏ボンベイは、ビルの工事のため一旦閉店を発表するが、そのあと店主の後継者がいないことを理由に本当に閉店してしまう。さらに2008年、その店主が亡くなってしまうという事態に。まるでビートルズのジョン・レノンが死んでしまって再結成の道が閉ざされたように、もうボンベイのカシミールを永遠に食べることができなくなってしまった。

しかし、ボンベイ愛の強いファン出身の現経営者の熱意で、亡き店主のレシピを受け継いで柏に復活、そしてうれしいことに東京の初出店が私の生活拠点の恵比寿だったことにも、ただならぬ縁を感じるのだ。

だが、かつて柏にあったボンベイのマスターのカシミールを忘れられない同級生から「味が変わった」「前のほうがよかった」という声も聞く。

そりゃ、一旦は途切れた味なのと、別の人がやってるんだから仕方ないだろう。

それよか、永遠に食べられないと覚悟した、あの幻のカレーを今でも食べられるんだから、それだけで手を合わせたいほど有難いじゃないか。

もしかしたら、夏の暑さと同じで、あなたの記憶が美化されているだけかもよ。

サポートに感謝いたします!