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ギフト

6月にアメリカのフィラデルフィアからタッド・セーが松戸に滞在した。
彼はアニメーションを主に用いて作品を制作する作家で、今回の滞在中日本の贈り物に関してリサーチをし、そこから新作のアニメーションを作る事に挑戦した。

包装紙で綺麗に包んで、特別なときに渡すもの、贈り物。誕生日、記念日、季節のご挨拶、お世話になっている人へのお土産などこれでもかというくらい私たちは他者に贈り物を送る文化の中で生きている。

タッドはとにかくそのことが自分の目には不思議に映る、と言っていた。きれいにラッピングをして、しかも無償で。誰かにこんなにも何かを贈るということが特別じゃなくても行われているなんて。日本に来てからたくさん色んな人から贈り物をもらったよ。海外だともっと雑な包みでこんなにきれいじゃないんだ、と日本での出来事について嬉しそうに話していたのが印象的だった。

 作品制作の途中、今どのように作品が進んでいるのか途中経過を見せてくれる機会があった。またどうしたらいいか、という意見も聞きたいということだった。プロトタイプの映像は、実写で松戸にある坂川を背景に、鉛筆画で描かれた女性が丁寧に風呂敷から贈り物を差し出す、という内容だった。しかし、女性はシルエットで描かれ、坂川もモノクロの水面が続き、少し不気味な様子だった。

そこまで見終えて、彼の描きたいこと、テーマを聞いた。他のパラダイスエアメンバーはどう思ったかはわからないが、僕は少し贈り物というテーマよりかはそのミステリアスな行為(彼にとっては)にフォーカスがいっているように感じた。まだなにか表面を掬っているような感じ。そして画面からは少し迷いも感じた。

映像を作っていると時々、制作の途中で自分以外の視点が欲しくなることが僕もよくある。あまりに見過ぎると、冷静に判断ができなくなる場面がどうしてもでてきてしまう。それが、痛いほどよくわかっていたので、彼が作りたい方向性を引き出そうと思い、いくつか意見を言った。

まず、出てきているモチーフを関連付けて、ストーリーのように構成していったらどうか、もしくは構成をもう少しして、メリハリをつけたらどうか、など。これは彼が今まで作ってきたやり方ではない提案をした。もちろんわざと。要するにもう少しわかりやすくしたらどうか、というようなニュアンスである。

彼は、そのアドバイスにこう答えた。僕の作品はナラティブ(物語)ではないんだ。ストーリーもない。オーバーラップ(映像と映像を重ねる)たり反復する事が重要なんだ。そして、画面上のレイアウトもきれいに対称なものよりランダムなものが好きなんだ、としっかりと意思を持って答えてくれた。

僕は、じゃあ、そのままでいきなよ、一番ベストだと思う方法でそのやり方を突き進めるべきだ。松戸の人に君の作品がどう思われるかより、まずはその思いをどんどん画面の中にいれるだけでいいんじゃないのか。僕はそれがいいと思う。とアドバイスした。

その後、地元の提灯店「八嶋商店」にご協力頂き、提灯の制作風景を取材して、作る様子を撮影してもらったり、滞在施設の近くののコンビニのとても礼儀正しい店員さんが気になるということで、彼にも出演交渉をし、贈り物を渡すシーンを撮影したりと松戸の人々を撮影し、彼の作品の中により広がりを持たせていった。

最終的に出来上がった作品は、タッドが気になった松戸の景色と、贈り物を渡す所作や日本の伝統的な包み方をアニメーションにし、松戸の日常の中に組み合わさり、プロトタイプの時よりがらりと印象が違うものに変わった。


贈り物自体は隠された「シルエット」で描かれているが、彼の今まで作ってきた作品とは違い隠すということがミステリーではなく今回とてもポジティブな印象で描いたと言っていた。

彼の今まで作ってきた作品は明確なストーリーはない。ただ、共通するのはミステリーのような不思議な表現を好んでいる。自分の作品を見た人からたくさんの問いが生まれて欲しい、と完成した作品を皆さんの前で披露した際のトークで語っていた。何かを隠すこと、はっきりとわからないということから受け手の想像力を引き出したいという想いがあるのだろう。だからこそ、日本の包みにくるまれた「見えない贈り物」というものに興味を持ったことも頷ける。

おみやげという文化、包み紙、その渡す態度など日本にしか無いその文化と、松戸で感じたことや出会った人を彼なりに組み合わせた今回の作品もまた、彼から松戸に向けた贈り物を「作品」として贈ってくれたような、そんな粋な作品を残していってくれた。

後に聞いたら、今回の作品を気に入ってくれているかどうかすごく気にしていたようだ。滞在する前も、自分の考えている制作プランが松戸滞在の条件を満たしているか、とメールで気にしていたのではっきりと言って欲しかったのだろう。アメリカだったら、色んな意見が飛び交って、気に入らなかったらすぐNO! って言われるよ、と。途中経過を披露したミーティングのあとに言っていた。

はっきりとモノを言わない、なんとなく空白を残すようなやりとりも(もちろん私達に限ってではあるが)もしかしたら確信の見えない「隠された」日本人らしいやり方だったのかもしれない。そのさじ加減というのはいつも悩むところではある。あまり介入してしまうとその意見に頼ってしまう場合もあるからだ。

余談だが、僕も映像の中に贈り物を包むシーンでデパート包みを撮影してもらった。その原画とパイナップルの絵がプリントされたタオルを最後にもらった。アメリカではパイナップルがおもてなしの象徴らしい。なんだか、たくさんのものをもらってしまった。

実は、彼の奥様は日本の方で今回も一緒に日本に戻り、作品制作中も何度か同行してくださっていた。僕の危なっかしい英語の意思疎通も、彼女が途中通訳をしてくださったおかげできちんと伝わってとても助けて頂いた。2,3年に一度アメリカから日本に里帰りをしているそうで、そうなると次は2019年かな?

どんな風にに私達も、アーティストも変わっているのか。
これから先に見たい景色や楽しみが、また一つ増えました。

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