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世界は美しいので、妬みと嫉みと時々僻む。

 10年間走らない間に、いつのまにかランニング業界は小粋になった。SNSにアップされる画像を見ると、小粋な男女が小粋な格好で、でもかなりハードに走ってる。

 こんなに流行るのかい?しかもハードな方に流行るのかい?と当時のことを思うと戸惑うのだ。

 走るためには、彼女なんかいらない!と見栄を切ってた大学時代だった。女の子と話せなくても、ランニングがあるさって、オリジナルのウルトラコースを作って、一人でチャレンジを繰り返してた。誰も振り向かなくていい、それでも走り続けること。それがウルトラマラソンの世界だってね。だから大会にさえ滅多に出なかった。
(エントリー費が捻出できなかっただけだけど)

 ところが、ところが。
 数年前に知り合いとリレーマラソンに出た時のこと。
 知り合いの知り合いがランニングサークルの人たちを連れてきた。半分が女性たち。しかも小粋な子たち。リレーマラソンだしね。そりゃみんな小粋だよね。そんなふうに思っていた。
 しかし驚くべきことに、小粋な女の子たちはウルトラマラソンを走る。100マイルのトレイルも走る。いやいや、ちょっと待ってくれ、こんな子とウルトラマラソンの話で盛り上がってるんだけど、とたじろいだ。

 子育てのこともある。妻は別にランニングに興味がない。30代は失われた10年を取り戻すことにして、40からしっかり走ろうと、2年前に決めた。
 さて、ランニングにもう一度向き合ってみると、世の中にはこんなにもランニングを愛する人たちがいたのか、というほどに出てくる素晴らしきランナーたち。
そして、大会で出会う素晴らしい人々。知らない世界だ。それは全く新しいカルチャーだった。

 しかしどうも、この素敵なランニングコミュニティに乗れないでいる。ねえねえ、一緒に走ろうよ、と言えばいいってことは知ってる。知ってるよ。
 それは、あれだ。
 世界が美しすぎるので、妬みと嫉み、それから僻んでいるだけ。
 
 遠くから見てても、その美しさは変わらない。なら、それでいいさ、と、きょうもただ走るだけ走る。レースに勝つこともなく。
 でもいつか、そっち側で走ってみたいもの。

 妬みとか嫉みとか僻みとか。愛してやまない子たちだけど、その向こう側にも行ってみたいと思いませんか、うふっふー。