金銀の造幣価格比率 ゴールド91
金本位制のルールブックを書いた者は誰もいなかった。
金本位制のために、何らかの大計画が立てられたこともなかった。
そして、金本位制がヨーロッパで採用されるにあたってはアメリカ合衆国とアジアの動向も大きな影響を与えた。
合衆国から物語が始まる
1791年、合衆国政府はアレグザンダー・ハミルトンの勧告に従い、金銀の造幣価格を15対1の比率にする貨幣体制とした。
しかし、この時期は金の供給が落ち込み、需要は増大したため市場での金の価格があっという間に銀の造幣価格の15倍以上に上昇した。
そうなると合衆国ではいつのまにか銀だけが流通するようになり、金は貨幣体制から徐々に消えていった。
※金の価格が銀の造幣価格の15倍以上になれば、15オンスの銀をアメリカに運んで1オンスの金と交換する。それから市場でその1オンスの金で15オンス以上の銀を買う。これを繰り返すことで大きな利益を得ることができる。結果、アメリカでは銀だけが流通し、金は流通しなくなった。
実際は銀本位制
つまり、合衆国では実際は銀本位制をとっていたこととなり、このような不均衡は約40年にわたって続いた。
そして、1834年に議会はようやく金銀の造幣価格の比率を改めることとなった。
その改められた比率は16対1だった。
事実上の金本位制へ
金銀の造幣価格の比率が16対1へ改められると今度は金銀の流れが逆転し、事実上の金本位制へと移行した。
銀は補助貨幣として使われ続けたが、金が主要な資産となった。
ただし、金本位制を採用する正式な法律が制定されたのは1900年になってからだった。
ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン
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